2011年07月29日

『 江 』 秀次切腹

 こんなタイトル前に書いた気もしますね σ(^_^;)  先日の日曜日放送分の『 江 』を見ました。

 今回は秀次が切腹となりまして、ここのところ毎週の様に誰か亡くなっていきますねえ。死を前にした人物と主人公との絡みを設けるという手法は相変わらずで、読めてしまうし飽きてしまうというのが苦しいですね。「あ、また出かけていっちゃったよ」と。

 ですが、毎回の様に繰り返されるそのパターンの中に、光るセリフや演技が紛れているのが、このドラマらしいところでしょうか。だから、なんだかんだ言いながら見続けているのかもしれないです。

 今回も秀次役の北村有起哉氏がいい演技をしてくれていました。あ、素人が言うことですからね、そのあたりは当てになりませんが。でも、この世を見限った、己の能力を超えた立場からの重圧から解放された、すっきりした表情と澄んだ声色はさすがだなあと。

 以前から、臆病で駄目に見えるけれども実は頭がいい、感性が鋭い秀次の設定を表現されていて、おー、ここにもいい脇役がと注目していましたが、今回はその集大成という感じ。心から拍手です。ただ、酔っ払った演技はちょっと……(苦笑) あれは演出で、なのかなあ。





 それと……、今回は利休の時と違って、あまりにも主人公との関係と最期の会話場面がしっくりこなさすぎました。

 秀次に対する主人公の気持ちが多少なりとも変化したのは、己の旦那様とのほほえましい兄弟関係を感じたり、出征中の旦那様を一緒に心配したりということからだと思いますが、そうした部分があまりにも弱すぎた。二人の感情の変化をもっと時間をかけて描かないと、なんだか主人公がその場の感情だけで動く人間に見えてきてしまいます。だから江が脇差を自らの首に突きつけてまで会いに行くという行動が、あまりに安く見えてしまう。これ、この物語が抱え込んでいる大きな問題点だと思います。

 余計なことを言えば、死をあまりにもあっさり、綺麗に描きすぎるから、実感として弱い。だから、主人公の怒りが薄く見えてきてしまうというのもありますね。

 『 篤姫 』の時は、彼女が不在の部分の影の主役として、小松帯刀の存在がありました。性別も違い、やがて立場も正反対となっていく二人を交互に描くことで、物語の軸が複数、相互に強化しながら存在することができた。それが今回、あまりにも主人公中心に展開していくあまり、脇役たち、特に男性たちがただ通り過ぎ、死んでいくだけの存在に見えてきてしまう。信長存命時や秀吉の成長期は、その存在のみで持ちこたえていたとも思うのですが、それは一時的なもの。この作品には帯刀の様に、主人公とともに物語を貫く男性がいないのですね。

 戦国に生きた女性を描くのなら、その対象として男性たちをよりしっかり描かないといけないのではないかなあというのが、このところの印象です。脇役さんたちの演技が素晴らしいだけに、勿体無いなあと。

 後は最期まで添い遂げることになる秀忠に期待ですね。『 篤姫 』の家定を超える重みを感じさせて欲しいと思います。期待して録画を続けます。
ラベル: ドラマ テレビ
posted by omune at 23:48| 埼玉 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | テレビ、映画、ビデオ | 更新情報をチェックする
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