2000年07月26日

『 シアネのように 』2

 空はどこまでも青くすみきり、ただよう白雲がまばゆいばかりに輝いている。
 雨が汚れやほこりを洗い流したためだろう。草原の緑が眼にしみる。初日はほとんど見かけなかった虫や鳥や動物たちが秋の陽ざしに生を謳歌し、ルファールにたびたび歓声をあげさせた。
 旅は順調のうちに進んでいった。天候悪化の予兆は見えず、どうやらアルモリカ湖までもちそうである。強めの風が気にはなったが、おかげで湿気も感じない。暑くもなければ寒くもなくて、のんびり行くにはちょうどいい。
 そして訪れた四日めの夜は、ルファール念願の野宿となった。たき火を囲んでの食事がすむと、皆はヴォルグを残して眠りについた。
 ――寝ながらにこにこしちまって。シアネの夢でも見てるのかねえ。
 横たわる彼女らの向こうには、月光がおだやかな山なみを浮かばせている。そこに生いしげる森を登れば、目指すアルモリカ湖があるはずだった。
 玄関口であるティエリアの町には、陽が低いうちに入れるだろう。宿に荷物をあずけたら、いよいよシアネ見物のはじまりだ。
「寝といた方がいいんじゃないか? ここから先が本番なんだし、ルファールきっとはしゃぎまくるぞ」
 そんなヴォルグのうながしに、かたわらの相棒がくくっと笑う。
「それは確かにそうなんだけどさ。なにからなにまで、全部押しつけちゃってるからね」
 少しきつくはなるのだが、ヴォルグとフューリイが交替で。それが見はりの段取りだった。が、彼女は毛布にくるまらず、こうして腰を並べてくれている。
「なあ、シェラ」
「……ん?」
「いったいどうするつもりだよ? ナゼルに説得頼まれてたろ?」
「ああ、そのことかあ……」
 輝くルファールの表情に、なかなか切りだすきっかけがつかめない。顔をてのひらで支えつつ、シェラは困った顔をしてみせた。
「私、どうすればいいんだろうね?」
「うーん。急にそんなこと聞かれてもなあ」
 彼女の気持ちは、今も変わっていないのだろうか? そうなのだろうとヴォルグは思う。シェラとの楽しげなやり取りに、なぜか店の話題はでてこない。二人の出会いも過ごした時も、思いでのほとんどがある場所なのに、だ。
「すまん。俺にもちょっと分からない。ただ、さ」
「ただ? なあに?」
「なんにせよ、このままいい旅で終わるといいよな」
「……そうね」
 小さくうなずいてみせたきり、シェラはしばし黙りこくった。栗毛をおさえての微笑みが、干し草のベッドに向けられる。と、燃える炎のかたわらで、フューリイの毛布がもそりと動いた。彼はそのまま起きあがり、足音を殺してやってくる。
「よお。ひょっとしてうるさかったか?」
「いえ、そろそろ交替の時間ですから。それにどうも眠りが浅いんですよね。こういう旅には慣れてないんで、やっぱり緊張してるんでしょう」
 乱れた金髪に手ぐしを入れつつ、彼は口元をゆるめてみせた。そしてその表情を崩さぬままに、眼下のシェラをじっと見つめる。
「もしも、ですよ。もしもそうならなかったら、あなたはどうするつもりです? 意地悪に聞こえるかもしれないですが、それによって戦い方を変えなきゃいけない」
「……いつも通りに決まってるでしょ」
「本当ですね? あれほど慕ってくれる子の前で、得意の法術を使うんですね?」
「戦うって言ったら戦うの。男のくせにしつこいわねえ」
 きっと見あげての肯定は、かすかなよどみすら含んでいない。そう、それは彼女があの晩に、散々悩んだことだった。
「それにね。そうなったらそうなったでいいのかもって、私、ちょっと思ってるんだ。あの子は遅かれ早かれ気づくでしょうし、いつかは知らなきゃいけないことだわ」
「そうですか。それなら私も安心です」
 にっこりしてのうなずきに、しかしシェラの表情は変わらなかった。きつい視線を逸らさないまま、フューリイの眼前に立ちあがる。
「だいたいさ。どういう旅になるのかは、あんた次第じゃないかしら?」
「は、あ?」
 胸に指を突きたてられて、フューリイは一歩二歩と後ずさる。と、指先が再び強く鎧を押した。
「まさか仕事がらみじゃないんでしょうね? あの子を余計なことに引きずりこんだら……。もしもそんなことしたら、私あんたを許さないから!」
「だ、大丈夫ですよ。今回はほんとにそうじゃありません」
「どうだかね」
 ふんと鼻を鳴らしつつ、シェラは小柄な身体を向きなおらせた。
「あんたもよ、ヴォルグ! ちゃんと分別つけなさいよね」
 とげとげしい警告を浴びせかけ、干し草のベッドに去っていく。
「あいつの言うことは本当だ。相棒の俺が保証するって」
 となりにごろりと寝ころびながら、ヴォルグは彼女にささやきかけた。が、待てども答えは返ってこない。ぴくりと頭をゆらしたことが、シェラの唯一の反応だった。

 ティエリアは意外に大きな町だった。あくまでも近辺のものとくらべればだが、それでも道が舗装されていたり周囲を街壁が囲んでいたり、さらには各所に井戸が掘られていたりと、環境もなかなかの充実ぶりだ。
「それもシアネのおかげだよ。あとは帝国中の飲んべえたちのね」
 宿の若主人に言わせると、それには理由があるらしい。
 この町には「シアネ御殿」の通称をもつ、白壁の豪邸が建っている。主はベルディアという名の商人で、シアネの剥製と古くから伝わる銘酒を一手に扱っているのだそうだ。亡き先代から引きついだ商売を一気に拡大してみせたやり手であって、若き領主クルーニスとは国都でともに学んだ仲だ。
 つまりは「町の名士」というわけなのだが、そんな賛辞もどうやら伊達ではないようだった。聞けば、巨額な儲けのかなりの部分が、この町の整備に充てられているらしい。協力を惜しまないクルーニスとともにだから皆の尊敬を集めていると、初老の主人は熱く語った。
「そうか。そりゃあ、いいことを聞かせてくれたよ」
 満面の笑みを浮かべつつ、アルベインが彼に握手を求める。それにはヴォルグも驚かなかった。わざわざ尋ねるまでもなく、商売がらみに違いない。だが、フューリイが興味を示してみせたのは、思いもよらないことだった。
「剥製は、この時期だと手に入りにくいそうですね。なんでも、春に決まった数しか作られないとか?」
「その通り。よそ者なのによく知ってるな」
「だけど、どうでしょう? その方のところにならあるのでは?」
「そりゃ一つや二つは残ってるだろうが、買いとろうったって無理な話さ。あんたの財布じゃ、きっと百個あっても足りやしないよ」
 ただでさえ高価な品のことである。なかばばかにしたような、主人の口調も当然だった。が、フューリイにそれを気にする様子などない。
「あはは、まったくおっしゃる通りです。やっぱりあきらめるしかないかなあ」
「お、おいおい。お前、そんな趣味あったのか?」
 ヴォルグのそんなささやきに、人さし指が上をさす。おだやかな表情はそのままだったが、眉間にしわが寄っていた。
 ――なにい? リュティスのおっさんのお使いか?
 これが彼を同行させた目的なのか? もしも本当にそうならば、剣の肥やしにしてくれる。ヴォルグが固めたそんな決意は、しかし突然の呼び声に吹きとばされた。
「兄さん、ヴォルグさん、フューリイさあん! 帰りが遅くなっちゃいますよお!」
 表に通じる扉の向こうで、ルファールはかなり急いているようだった。アルベインはなおもなにかを問おうとしたが、それは駆けこんできたシェラに阻止された。
「お、そ、いー!」
「あ、す、すまん」
 妹に頬をふくらまされて、アルベインは我に返ったようだった。狼狽しきった表情で、後ろの二人をちらちら見やる。
「お、俺は急ごうって言ったんだけどさ。こいつが余計なことを色々聞いてて……」
 主犯にされたフューリイは一瞬驚いた顔をして、それから小さく噴きだした。言いわけも反論もしようとせずに、一言「すみません」と謝罪する。
「あはは、謝らなくたっていいですよお。きっと悪いのは兄さんですもん。ね、そうでしょ、兄さん? 嘘ついたって、ちゃーんと分かるんですからね」
「いや。そ、それはだな」
「やっぱりね! 人のせいにするなんて、さいってい!」
 腕を組んでの叱責は、なかなかの迫力を帯びていた。シェラが眼を円くして、「へえ……」と感嘆の吐息をもらす。
「フューリイさんに謝って!」
「ああ。……すまんな、フューリイ」
「なによそれ? もっとちゃんと頭を下げて!」
 彼女がこれほど怒るのを、ヴォルグは今まで見たことがない。ぺこぺこ謝るアルベインの姿も、やはりそれにしかりであった。
「なあ、もういい加減に許してくれよ」
「うーん。まあ、このくらいにしておかないと、時間がもったいないもんね」
 くすりと笑ってみせてから、ルファールはいきなり大地を蹴った。
「いいわよ! 私を捕まえたら許してあげる!」
「……ほんとだな? あとから取り消しは聞かないぞ!」
「しないもーん! それに、もう昔みたいにはいかないからね」
 たちまち朝日を浴びつつの、追いかけっこがはじまった。
「あ、ちょっと! 待ちなさいよお、あんたたち」
 ぽかんと顔を見あわせてから、あわててシェラたちが後を追う。風のように駆けぬけていく彼らの姿を、通行人たちが呆気にとられて見送っていた。
 街門の衛兵にいったん中断させられながらも、二人の決着はなかなかつこうとしなかった。男のアルベインがだらしない? いやいやそんなことはない。慣れぬブーツをものともしない、ルファールが意外なまでに速いのだ。が、やがてやってきた急坂に、さしもの彼女も音を上げた。
「も、もうだめ……。こ、降参するよおお」
 そこで胸をはってみせたとしたら、兄の面目が保てただろう。だが、アルベインははるか後ろで、手を挙げるのが精いっぱいだ。
「ほらね。あの子の先祖はやっぱり馬よ」
 苦しそうなつぶやきに、ヴォルグは苦笑でうなずいた。まさか、これほど汗をかかされるとは。例の怪力ぶりといい、やはり人は見かけによらない。だが、いくらそんな彼女でも、少々調子に乗りすぎだった。
「ふう……」
 森が深まっていくうちに、ルファールはだんだんと無口になった。背筋が前に折れはじめ、そのうち足まで引きずりはじめる。
「痛いんでしょ?」
 にやつくシェラの問いかけに、びくりと首が跳ねあげられた。
「ど、どこがですか? 私、ぜんぜん平気です!」
「それならそれでいいからさ、とにかく止まって腰かけなさい」
「大丈夫ですう……」
「ぐずぐずしないで言うこときくの! そしたら、ブーツを脱いで足見せて!」
 いきなり声を荒げられ、彼女は渋々ながらもしたがった。と、素足に巻いた白布に、じわりと血の色がにじんできている。
「やっぱりね。履きなれない靴であんなに走ったりするからよ」
「ごめんなさい」
 半べそになったルファールは、それだけ言って黙りこくった。すぼめられた肩に手をやって、シェラがくくっと笑いをもらす。
「ま、はじめての旅なんだからしかたないって。ただね、ルファール」
「……はい?」
「せっかく一緒にいるんだからさ。遠慮しないで言いなさい。靴ずれだってひどくしたらね、ろくに歩けなくなっちゃうんだから」
 うなだれた頭をこつんと打った、拳が宙でふわりと開いた。それをしなやかに舞わせつつ、シェラは法語を唱えはじめる。
《実りを与えし大地の恵み。我らを支えし大地の力。我らを護りし父なるアラナス。汝の姿を今こそ見せよ……》
 美しくつむがれる旋律を、ヴォルグはすでに何度も耳にしていた。得意の風の系統ではなく、大地の力を借りての《治癒》だ。
「どうしてだかは分かんないけど、こっちの方が効くのよね」
 いつも聞かされている通り、術の効果は絶大だった。じわりと浮きあがったかさぶたが、たちまち生皮を埋めつくす。ほどなくそれがぽろりとはがれ、柔らかな肌色が現れた。
 《治癒》は高度な技とはいえない。すべての術系に存在し、護衛者のたしなみとしてヴォルグも使う。が、シェラのそれに比べれば、彼のものなど子どもの遊びだ。
「う、わあ……」
 くりくりした眼を見開いて、ルファールは呆気にとられているようだった。と、そんな彼女の両腕が、いきなりシェラを抱きしめる。
「すごい! やっぱり先輩ってすごいですっ!」
「あ! や……、やああ!」
 不意に両脇を絞めあげられて、小柄な身体がのけぞった。
「ちょっと、お。苦しい! 苦しいってばー」
 悲鳴をあげてもがいても、強烈な枷はゆるまない。必死の抵抗をつづけた末にようやく脱出できた時、シェラはすっかり涙目だった。
「あんた私の相棒なんでしょ どうして助けてくれなかったの?」
 かすれた非難に、ヴォルグはにやつくだけだった。ああいうところを見ていると、どこかほっとさせられる。そんな本音を言ったなら、きっと拳が飛んできただろう。
 宿で聞いていたとおり、アルモリカは小さく静かな湖だった。波おだやかな水面に木々や峰々が映りこみ、高価な鏡を思わせる。吹きぬけていく秋風にざわざわ頭上の枝がゆれ、そしてそのあちこちに歌う彼らの姿があった。背中の青と腹部の純白。そのいずれもが鮮やかで、嫌でも視線が引きつけられる。
「わああっ! 想像してたより、ずっとずっと綺麗です」
 濃密な木々の吐息のなかを、ルファールの歓声がこだまする。ちゃんと言葉になっているから、少しは落ちついてきたらしかった。
 つい先刻のことである。渓流で最初の一羽を見かけた時の、彼女の喜びようはすごかった。はらはら見守る一同をよそに、岩場をぴょんぴょん跳ねまわる。シェラがあわてて引き止めなければ、急流にはまってしまっていたかもしれない。
「なんてすんだ声なんだろう……。ぴるりー、ぽぴりーってほんとに言ってる。父さんに教わった鳴き声をこうして生で聞けるだなんて……。あはっ! なんか涙が出てきちゃう」
 大切なペンダントを握りしめ、彼女は本当に泣いていた。せき止める指先をかいくぐり、すっと大粒の雫がすべる。鼻の頭をこすりつつ、アルベインも感極まっているようだった。
 ただ容姿が美しいだけでなく、シアネは躍動感にあふれた鳥だった。青い軌跡を引きながら、水面ぎりぎりを飛んでいく。二羽がからみ合うように、宙になめらかな螺旋を描く。
「私、最高に幸せです。みんな本当にありがとう」
「はは……。そう言ってくれると、来た甲斐があったってもんだよな」
 視線の置き場がなくなって、ヴォルグはとなりの相棒をちらりと見やった。彼女は栗毛をいじくり回し、鎧の肩をすぼめてみせる。
 じいっと様子を観察したり、風のように飛びゆく姿になんとか追いつこうと挑戦したり。シアネのそばで過ごす時間を、ルファールは思う存分堪能していた。が、やがて彼らから離れた瞳が、今度はフューリイに向けられる。たたずむかたわらに駆けよって、彼女は腕を背中に組んだ。
「フューリイっさん!」
 岩に腰かけたヴォルグとシェラが、どちらからともなく顔を見あわす。昼寝をしていたアルベインも、ごろりと身体を二人に向けた。
「なんでしょう?」
「えへへー。実はシアネに会うほかに、今日は目標があったんです」
 笑顔を眼前に突きだされ、フューリイの上半身がつつっと下がった。空いてしまったスペースを、彼女は一歩進んですかさず埋める。
「それはあ……、フューリイさんの歳を知ること!」
「は、あ?」
「すっごく若く見えますけれど、フューリイさんっておいくつなんです?」
 こらえきれなくなったのか、シェラがぷぷっと噴きだした。どうにもずれたやり取りが、ヴォルグもおかしくてたまらない。
「二十歳、ですけど。歳相応に見えないでしょうか?」
「ぜーんぜん! だって、フューリイ君って呼んじゃおうかなって、ずっと迷ってたくらいですもん」
「はは。気にしなくてもかまわないのに」
 困惑の表情を向けられて、彼女はくすりと身体を揺らした。背中の指をもじもじ動かし、照れくさそうに瞳をふせる。
「……してません。だって、そんなの口実ですから」
「口実?」
「ひょっとして、嫌われちゃってるのかもしれないなあって。いつも離れたところにいるし、笑っていても、笑ってないし」
「笑って……、いない?」
「眼が……。あ、し、失礼だったらごめんなさい!」
 鋭い。身体を縮める彼女を見やり、ヴォルグは呆気にとられていた。あれほどはしゃいでいるなかで、それをしっかり見抜いているとは。
「あ、いえいえ。そんなことありません。ただ……、ちょっと不慣れなだけなんです」
「不慣れって? お話しすることに、ですか?」
「いえ、己をさらけ出すことに。でも、あなたにそう思われてしまうのは嫌ですね。もしも良ければ、シアネについてでも話しましょうか?」
「はいっ! 聞かせて下さい!」
 表情を輝かせるルファールに、彼は様々な話を語って聞かせた。シアネの故郷は、はるかな北の島であるということ。海を渡ってくる途中で、多くのものが落ちるということ。飛びながら虫を捕らえるゆえに、かごのなかでは生きられないこと。そして、おとぎ話になってはいるが、物語の登場人物たちは皆現実にいたということ。
「ふ、うん。どうやらほんとに仕事じゃないんだ?」
 そっと耳元でささやかれ、ヴォルグは口をへの字に曲げた。
「当たり前だろ。相棒の俺が言ったのに、それでも信じてなかったのかよ?」
「ごめんごめん。それより、ほら。あれ見てよ。なんか、いい雰囲気って感じじゃない?」
 ぴったり合わされた両手の先が、湖岸の一角を指ししめす。そこにはきらめく水面を背景に、肩をならべる姿があった。会話を聞きたがっているかのように、二人の周囲をシアネが飛びかう。
「冗談じゃない。だめだだめだ、あんな奴は」
 アルベインの表情は、いたって真剣そのものだった。にやつくシェラをねめつけながら、二人の背中に声をぶつける。
「おーい! そろそろ町に戻るとしよう!」
 日が暮れぬうちに森を出るべく、帰路は休憩なしの強行軍になった。宿へ着くころにはさすがに息があがっていたが、待っていた温かい夕食がそんな疲れを癒してくれた。

     ■

 翌朝の食事をすませると、一同は思い思いの時間を過ごした。まずはのんびりと身体を休め、それから町を散策しよう。そういう予定になっていた。
 男部屋へと戻ったヴォルグは、フューリイと武具の手入れで時間をつぶした。ほどなくそれがすんでしまうと、窓枠にもたれて外をながめる。
 人の数も面積も、ティエリアは付近で有数の規模をもつ。眼下の街道を見知らぬ隊商が通っていったり、山盛りの洗い物を抱えた主婦が井戸の周りを囲んでいたり、はたまた弓を手にした狩人たちが昨日の山へと登っていったり。朝の町なみはなかなかのにぎわいをみせていた。
 ――アルベインの奴、ちゃんと会わせてもらえたかなあ?
 朝食をあわただしくかきこんで、アルベインは「シアネ御殿」に出かけていった。取引先のないこの地方にも、なにか儲ける材料があるかもしれない。それを調べてくることが、休暇の条件だったという。
「うふふ。多分そうするだろうって思ってました」
 ルファールも気にしていないようだったから、それはそれでいいだろう。うまくいこうがいくまいが、自分には関係のないことだ。ただよう草の香を味わいながら、ヴォルグはそう考えていた。しかし、やがてもたらされた言づてに、甘い腹づもりは消しとんだ。
「取り引きの話は追々進めることになったんだけどな。お近づきの印に夕食会でもって言うんだよ。もちろん、あんた達も一緒にね」
 まったく思いがけないことだった。なんでも、知らない国や土地の話を色々聞いてみたいのだという。
 そんな席に着ていく服など、持ってきているわけがない。シェラは強硬に拒否したが、兄妹そろっての説得に結局うなずくよりほかなくなった。

「これはアルベイン様。お待ちしておりました」
 禿頭の執事が、褐色の扉を静かに開く。と、その向こうから広いホールが現れた。手入れの行き届いた白壁が、闇に慣れた眼にまぶしく感じる。そこで待つように言いのこし、執事は奥へ姿を消した。
「す、ごおい。まるでお城に入ったみたい……」
 頭上のシャンデリアをあおぎ見て、ルファールはすっかり圧倒されている。一方、シェラの視線は、真下に向けられ動かない。
「ね、ねえ。ほんとにおかしくないかなあ。どうせこんな格好してくるんなら、やっぱり鎧着てきた方が……」
「大丈夫だって言ってるだろう? だいたい二度と会わない相手なんだし、おかしきゃおかしいでいいんじゃないか?」
 面倒そうに受け流されて、シェラは激しく栗毛を揺らした。たじろぐヴォルグをにらみつけ、べえっと小さく舌をだす。と、そこで四方の扉の一つが開いた。
「ようこそおいで下さいました。私はマイアともうします」
 青いドレスの若い婦人が、両手をそろえて礼をする。そっくりな顔だちの少年少女も、彼女の仕草をそのまままねた。
「この子たちはアロンとニレーネ。さあ、ご挨拶なさい二人とも」
「はーい。アルベインさん、こんにちは」
「僕、アロン! 後ろの人たちはみんな護衛者なんでしょう?」
「わあ、かわいい~」
 ルファールが両手を広げると、ぱっと姉弟の顔が輝く。彼女に飛びつこうとでもするかのように、二人はまっすぐ駆けよってきた。その表情を見るだけで、愛されて育っているのがよく分かる。
「すみません。なんだか自分勝手に育ってしまって。でも、ほんとは私も同じですのよ。早くお話をうかがいたくて、耳がうずうずしてますの」
 ドレスの裾をなびかせて、マイアは皆をいざなった。
「さあ、どうぞこちらに。主人も間もなくまいりますから」
「ほらあ! 行こー行こー!」
 はしゃぐ子どもたちに背中を押され、すべる石床を歩きだす。くぐった扉の向こうでは、大きな食卓と立派な椅子が一同の到着を待っていた。先刻の執事が現れて、一人一人を席へと導く。
「どうぞお座りください」
「あ、ああ」
 すとんと落とされたヴォルグの腰を、柔らかな敷物が受けとめた。座りごこちはいいのだが、となりとの間隔があまりに広い。上座に空いたベルディアの席とは、会話をするのさえ大変そうだ。
「いやあ、お待たせしてしまってすみません。商談の方が手間取りまして」
 間もなく小走りに飛びこんできたのは、それこそどこにでもいるような、ごくごく普通の男性だった。とはいえ、さすがに髪型はきっちりしており、服も清潔そうでぴしっとしている。
「もーっ! また遅刻うー!」
「お腹ぺこぺこになっちゃたよお!」
 非難の声を浴びせられ、ベルディアは頬の傷跡をぽりぽりかいた。剣によるものだろうその傷は耳の上を通りすぎ、黒髪のなかに吸いこまれている。ところどころ消えかけていて、かなり古いものと見てとれた。
「お招きいただいて感謝します。これを機会に、ぜひいい関係を築いていきましょう」
 そう差しだされたてのひらに、彼は深いうなずきとともに応えてみせた。
「まずは妹のルファールです」
 メイドが食前酒をつぎ回るなか、アルベインは連れを一人ずつ紹介していく。
「はじめまして! 兄のこと、どうぞよろしくお願いします」
「これは元気な娘さんだ。お兄さまからうかがいましたが、なんでも酒場の給仕をしておられるとか? よろしければ、うちの者たちにコツを教えてやって下さい」
 無論、社交辞令に違いない。が、ルファールの頬は、みるみる赤く染まっていった。軽く唇をかみしめて、自席の方へ後ずさる。
「わ、私なんかまだまだです。お店でもずっと失敗ばっかりで。そういうことなら先輩に……」
「ふふっ。またまたそんな謙遜しちゃって」
「せ、先輩?」
「彼女の人気、すごいんですよ。失敗は……、あはっ!確かにちょっとしますけど、それも魅力の一つですから」
「失礼ですが、あなたは護衛者さんではありませんの?」
 小首をかしげたマイアの問いに、にこりとうなずきが返された。珍しく彼女自ら語った事情に、夫婦は驚きを隠せない。
「護衛者のフューリイです。こちらのお二人とは護衛者仲間で、旅のお手伝いをさせてもらってます」
 よどみのない嘘につづけて、彼は剥製の件を持ちだした。ベルディアは即座にうなずき、しかも進呈することを申しでる。そんな皆のやり取りを、ヴォルグはぼんやり見やるのみだった。
 ――うそ、だろ?
 指が己の腰になにかを求める。が、そこに持つべきものはない。予備の短剣ともどもに、宿に預けてきたのであった。
「……ルグ? ちょっと、ヴォルグったら!」
「あ、す、すまん」
 相棒にてのひらを揺らされて、ようやく彼の瞳に光が戻った。
「大丈夫なの? 顔色すっごく悪いわよ?」
「ああ、ちょっとくらくらっときただけさ」
 テーブルに両腕を突きたてながら、ふらりと柔らかな椅子を離れる。
「俺はヴォルグ。もう聞いたと思うけど、護衛者でこいつの相棒ってことになってる」
 北方の街で、シェラとはじめて出会ったこと。紹介してやったナゼルの店で、給仕のルファールと知り合ったこと。そして、アルベインに仕事を回してもらうようになったこと。
 半年間の出来事をかいつまんで話すうち、彼の表情はいつものそれに戻っていった。
「ねえねえ。おじさんは、どうして護衛者をはじめたの?」
 息子が発した問いかけを、かたわらのマイアがあわててさえぎる。
「これっ! おじさんだなんて失礼でしょう? ねえ、ヴォルグさん。まだ、そんなお歳じゃないですよねえ」
「いえいえ、かまいませんよ。気づかない間に、俺もずいぶん歳くいましたし」
 と、シェラとルファールが、互いに顔を見あわせた。仲よくてのひらを口へと運び、なにやら意味ありげな笑いをもらす。そう出られてしまっては、ヴォルグも黙ってはいられなかった。
「お前さあ。俺といくつ違うんだっけ?」
「え?」
 笑顔を顔に張りつけたまま、シェラはしばし言葉につまる。
「……三つ、よね?」
 元から少し上がった目尻が、いよいよその度合いを強くした。が、それていきかけた話の先を、ベルディアが強引に引きもどす。
「そういえば、先ほどから昔の話が出てきませんな?」
「……え? そうだったかな?」
 ヴォルグが視線をからめていくと、灰色の瞳はするりと逃げた。右に曲がった鼻筋を、指がせわしなくいじくり回す。その様をしばし無言で見やった後に、彼はアロンの肩に手を置いた。
「護衛者になったわけだったっけ? 話してやりたいとこだけど、もう何年も前の話だしなあ」
「えー もしかして覚えてないの?」
「はは……。全部が全部ってわけじゃない。忘れたくたって、忘れられないこともあるしね。けどな、アロン。俺には今、こうしてることの方が大切なんだよ。どんな成りゆきだったにしても、その上に今の暮らしがあるんだからさ」
「なにそれ? なんだか全然わかんない」
「すまんすまん。それじゃあさ、おわびにもっと楽しい話をしてやるよ」
 傷跡だらけのてのひらが、我が子の頭を静かになでる。そんな二人のやり取りを、ベルディアはじっと見つめるのみだった。
 続々と登場する料理は上品かつ贅沢で、その味を皆は存分に楽しんだ。とはいえ、ヴォルグの前の皿だけは、ほとんど空にはならなかったが。味が気に入らないのかと執事は散々心配したが、疲れているという言いわけに納得してくれたようだった。
 スープに肉に柔らかなパン、そして新鮮な野菜。最後に山の果物がふるまわれ、館での晩餐は終わりを告げた。

 家の明かりも消えはじめ、通りを行く者はほとんどいない。見あげれば、星空に小さな満月が輝いている。
「ねえ、ヴォルグ? ちょっと二人で散歩しない?」 
 シェラがそう切りだしたのは、宿へと戻る道すがらだった。
「だめですよお。ヴォルグさん、身体の調子が悪いんですから」
 振りかえってとがめるルファールに、彼女は平然と言いはなつ。
「だいじょぶだいじょぶ。こいつ、案外肝っ玉が小さいからさ。慣れない場所で緊張しちゃっただけだって。ねえ?」
「あ、ああ。そんなとこかな」
 ルファールがいくぶん不安げに引きさがってしまうと、もうシェラを止める者はいなかった。アルベインはすっかりできあがってしまっているし、フューリイは我関せずを決めこんでいる。
「それじゃ、決まりね。そんなに遅くはならないけどさ、もしもきつかったら先に寝といて」
 シェラはそこで立ち止まり、皆の姿を見送った。それがやがて見えなくなると、相棒をおいてゆっくり二、三歩先へと進む。
「ねえ、ヴォルグ?」
「ん?」
 青いリボンがくるりと回り、おだやかな微笑みがヴォルグに向いた。
「どうしたの? さっきのあんた普通じゃなかった」
「ああ、あの時のことなら心配ないさ。お前の言うとおり、上がっちまってたんだろう」
「うそっ!」
 彼女は声を裏がえし、小走りにヴォルグへ近づいた。きつくつかまれた両腕に、その勢いが直接伝わる。
「へたなごまかししてないで、ほんとのわけを教えなさいよ!」
「だから! なんでもないって言ってるだろうが!」
 反撃の怒声を浴びせられ、シェラはびくりと肩をすぼめた。腕を離して後ろに下がり、上目づかいにヴォルグを見つめる。
「なにをぎゃぎゃあわめいてる こんな夜更けにどこのどいつだ?」
 近くの民家の窓が開き、ねまき姿の男が叫んだ。だが、月明かりに浮かぶ男女の姿は、まるで凍りついたように動かない。しばらく様子をうかがってから、彼は咳ばらいを残して家中へ消えた。
「なによお。せっかく心配してやってるのにさ」
 胸にかかった髪先が、風もないのに揺れている。
「いっつもいっつも隠しごとして。『素顔なんかいくらでも見せてやる』って、あんたあの時言ったじゃないよ」
 そう。相棒になろうという申し出への、それがヴォルグの返答だった。
「……すまん。そうだったよな」
 うかがうような互いの視線が、しばしの間からみあう。髪をぐしゃぐしゃとかき回しつつ、彼はそれを頭上に移した。数えきれない星々に、雲はまったくかかっていない。明日からの帰路も、ずっとこの好天が続いてくれれば。会話に関連ないはずの、そんな願いが彼の心をよぎっていった。
「だけど、勘弁してくれよ。いつかは話してやるからさ、それまで待っててくれないか?」
「……なによそれ? ずいぶん勝手な言いぐさじゃない」
 シェラは不満を隠さなかった。唇を大きくへの字に曲げて、ヴォルグをじろっとねめつける。が、大げさにため息をもらしてみせて、彼女はそれを笑みへと変えた。
「まあ、いっか。知ってたって知らなくたってどうせあんたはあんたなんだし、その方が興味も長くつづくだろうし。って、こんな感じでどうかしら? 相棒としては合格かなあ?」
「ああ、合格どころか満点だ」
「それは光栄の至りねえ。だけど、いい?」
 たたずむヴォルグの眼前で、ぴんと指が立てられる。
「明日からはいつものあんたに戻ること。ルファールの件だけでも憂鬱なのに、よけいな心配なんかしてられないわよ。女々しくうじうじしてたりしたら……、ただじゃすまさないからね!」
「へいへい。まったく信用ないよなあ」
「当たり前でしょ? 自業自得っていうやつじゃない」
 彼女はぷいとそっぽを向いて、そのまま足を踏みだした。ヴォルグが後から追いつくと、歩調を速めて引きはなす。人影まばらな通りを舞台に、奇妙な追いかけっこはしばらく続いた。


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posted by omune at 00:00| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 創作、制作 | 更新情報をチェックする
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