2000年07月30日

『 シアネのように 』1(文字拡大版)




シアネのように


大宗むねひろ


 草原の都ガイゼルは、石組みに守られた街である。ぶ厚く巨大な街壁が、楕円形の市街地をぐるりと完全にとり囲んでいる。そして、それを間近にあおぐ下町に、ヴォルグが暮らすアパートはあった。
「のどかだねえ」
 全開の窓にもたれかかって、彼はさわやかな風をあびていた。ひしめくぼろ屋根の向こうに、無粋な壁がでんとそびえ立っている。そこでは人面を思わせる巨大な染みが、いつもの表情を向けていた。昼どきということもあるのだろうか。二階から見おろす砂利道に、人の姿は見あたらない。
「ふ、ふわああ」
 するべきことはあるはずだった。せめて、埃が舞わないくらいに床を掃除しておこう。小山になった洗濯物を、綺麗さっぱり片づけよう。夕べ眠りにつく前に、一応の予定はたてていた。しかし、先刻寝床を出てからずっと、ヴォルグの立ち位置は変わっていない。
 仕事の旅を終えてから、すでに五日がたってしまった。明日こそはと思いながらも、結局同じパターンで終わってしまう。することと言えば、剣や鎧の手入れくらいだ。
 隊商の旅に同行し、賊や獣を退ける。それが彼の生業だった。護衛者といえば通りはいいが、とどのつまりは平時の傭兵、用心棒に他ならない。
「しかし、見れば見るほど汚いな」
 風を追いかけて回った顔に、ほどなく小さな苦笑が浮かぶ。散らかった部屋のまんなかに、埃の竜巻を見たからだった。
 もしもきっちり屋の相棒が一緒にいたら、どんな反応をみせただろうか。
「な、なによこれえ! これじゃまるで馬小屋じゃない」
 そんな金切り声を浴びせられるか、冷たくため息をつかれるか。悪くすれば、平手のおまけまでつくかもしれない。
 彼がシェラと知り合ったのは、今年の春のことだった。仕事で訪れたベルダの街で、法術を使うところに出くわしたのだ。
 地に落ちた雛を家に帰してやるために、彼女は栗毛をなびかせ宙へと浮いた。若草色のスカートに真っ赤なリボン。そんな格好はありふれた街娘そのもので、だからヴォルグは驚かされた。空を舞うなどという高度な術を、どうしてそんな娘が使えるのかと。もっとも、後に同業者と知ったときの衝撃は、その時どころではなかったのだが。
 それから半年が過ぎさって、共にした仕事は両手をこえた。ヴォルグの剣とシェラの法術。そのコンビネーションも、同業者たちにすっかり浸透しつつある。
 ――あいつ忙しそうだから。わざわざ覗きにくるわきゃないか。
 仕事の疲れもそろそろ抜けて、次を探したくなる頃合だった。が、そんなヴォルグの意に反し、彼女は待ったをかけてきた。
「ごめーん。あっちにかかりっきりになっちゃいそうなの」
 シェラは二つの仕事をかけもちしている。一つはヴォルグと同じ護衛者で、あとの一つは酒場の給仕だ。それには彼女なりの理由があって、どちらにおいても決して手を抜こうとしない。
 護衛の仕事で貯まった金で、故郷に宿屋を開きたい。それがシェラの夢であり、いつか実現するための給仕は大切な修行だという。
 彼女の両親は、遠いレフィタル侯国で宿屋を営み暮らしていた。温泉の湧きでるその町は保養地として有名で、両手ほどの部屋はいつも旅人で満杯だった。ところが、十年前に起こった戦が、幸せのすべてを奪っていった。
 戦火のただなかからシェラを救いだしたのは、後に義父となる護衛者だった。彼には同い年の娘がいたが、なんら分けへだてなく二人を愛し、遠慮することなく叱ってくれた。そんな義父に対する想いからシェラは護衛者を志し、そして彼をも失った。
 己の未熟さゆえに、義父を死地へと追いやった。そんな重荷を背負ったままにシェラは今日まで生きてきた。そして、そのなかで大きな夢を見つづけてきた。
「ナゼルがね、やっとシチューを教えてくれるの。あれだけは、しっかり覚えておきたいのよね」
 相棒となり、ガイゼルに居着くことになった彼女に、ヴォルグが紹介したのがナゼルの店だ。とりたてて高級でもまた大きくもないのだが、彼の人柄と料理の腕をシェラも気に入ってくれている。数ある店のメニューのなかでもシチューは冬の一番人気で、その習得に彼女は以前から執心していた。
「ねえ、教えて」
「だめだめ」
「今度の休み、返上するから」
「いやあ、シェラはほんとに働き者だな」
「知りたいったら知りたいの!」
「まあ、そのうちじっくり教えてやるさ」
 何度も懇願してはみたのだが、ナゼルは取りあう素振りをみせてくれない。彼女はすっかりじれきって、ある日、秘伝の虎の巻を盗み見しようとくわだてた。が、不運にもその現場を押さえられ、すさまじい雷を落とされた。
「震えあがった? 怖いもの知らずのシェラ様が? そりゃ、どうにもイメージわかないなあ」
「笑いごとじゃないってばっ! 包丁振りまわされるんじゃないかって、思わず身がまえちゃったんだから」
 あの温厚な中年主人が、シェラにそこまで言わしめるとは。ヴォルグには意外としか思えなかったが、真剣な表情を見るかぎり、まるきりの嘘でもなさそうだった。それがいよいよというのであるから、相棒の意気ごみは相当だろう。
 ――ま、それまでのんびり待っててやるよ。
 ということは、つまり時間はあるということだ。掃除にしろ洗濯にしろ、また日を改めてすればいい。そんな都合の良い理屈をこねて、ヴォルグは着の身着のまま部屋をでた。扉が並んだ薄暗い廊下を進み、窮屈な階段をのんびり降りる。
 ――ったく、うまくいかないもんだよなあ。暇な時に限ってなんにも言ってきやしないんだから。
 絹雲を見あげての独白は、リュティスに向けてのものだった。シェラがそうであるように、彼も別の仕事を持っている。だが、給仕と違って、その内容は決して公にできないものだ。
 将軍リュティスの私兵《白狼》は、公的な力が及ばない、裏の世界で活動している。そして、正式なメンバーではないにしろ、ヴォルグは彼らの組織のなかにいた。
 そのことに気づいているのはシェラをはじめ、わずか数人だけである。本来ならそれすら避けるべき事態だったが、意に反して表裏の人間関係が重なってしまう時はある。
「あんたの素顔が知りたくなった」
 秘密の存在に気づいた彼女は、そう相棒になることを申しでた。惚れた弱みで受け入れてしまったものの、ヴォルグは内心ひやひやだった。うるさく嗅ぎまわる者の存在を、白狼は放っておいてくれないだろうと。だが、意外にも、リュティスは正反対のことを彼らに命じた。
 最近になって分かったことだが、彼女の過去は隅から隅まで調べあげられているらしい。内心、面白くはなかったが、そこまでしての結論だけに、安心しても良さそうだった。
 いくつかの井戸を通りすぎ何度か十字路を折れ行くうちに、砂利道は段々と広く、直線的になっていった。行きかう人の数も増え、都らしいにぎわいが広がりはじめる。そして、その向こうから、やがて美しい水柱が姿をみせた。

     ■

 噴水が散らす細かな飛沫が、弓形の虹を浮かべている。大きな円形広場には、今日も多くの人々の姿があった。池を取りかこむ長椅子もほとんど全てが埋まっており、街路樹の影にいくつか空きがあるだけである。
 ――さあて、と。
 まずは目的地を決めようと、ヴォルグは手近な空席に腰かけた。だが、元々気分のままに出かけた散歩だ。行きたい場所など特にはないし、やりたいことがあるわけでもない。すぐに思考は止まってしまって、ぼうっと周囲を見渡しはじめる。
 左の彼方には月の門。この都は南の帝都に発し北のデロスに至る太い街道に貫かれており、それに沿うように外縁の石壁が入りこんできている。月の門はそこに設けられた、言ってみれば巨大な穴だ。庶民と商業の街、西地区最大の門であり、人や荷の往来がもっとも激しい場所である。
 一方、右の彼方には巨木に囲まれた大神殿。国中の神殿をたばねると同時に、人々の心のよりどころになっている。施療院もそこにあるため、訪れる人影が決してとぎれることはない。
 ――そうだな。墓参りでもしとくとするか。
 聖職者たちに聞かれたら、たちまち叱責されそうな連想だった。が、とにもかくにも散歩の終点が決まったわけだ。両親や姉たちが眠る墓所は、近くの市場の先にある。たむける花を買うのにも、ちょうど都合がいいだろう。だが、歩きはじめたヴォルグの足は、わずか数歩で止まってしまった。目と鼻の先の長椅子に、よく知る人物を見たからだった。
「……ルファールじゃないか」
 いつもなら、すぐさま歩みよっていただろう。だが、その横顔を満たした憂いが、ヴォルグにそれをためらわせた。
 ナゼルの店に勤める彼女は、シェラの給仕の後輩だ。くりくりした眼が特徴的な、元気いっぱいの一九歳。少々天然ボケの気があるが決してしゃれにならないほどではないし、素直がすぎてずれた思考もかえって愉快にさせられる。だが、ヴォルグが目にした表情は、そんな性格におよそ似合わないものだった。
「よお、久しぶりだな」
「えっ?」
 背後に回っての挨拶に、短めの髪が大きく揺れる。あどけない顔だちが輝いて、たちまち明るい返事がはじけた。
「なんだあ、ヴォルグさんじゃないですかー。誰かと思ってどきどきしちゃった」
 彼女は胸に手をあてて、上げかけた腰をすとんと落とす。
「おいおい。なんだはないだろ」
「あ! ごめんなさい。そんなつもりじゃなかったんです」
 となりに座ったヴォルグに向かい、彼女は「えへっ」と笑ってみせた。
「お仕事お疲れさまでした。兄さんから聞きましたけど、一度も襲われないですんだんですよね?」
「そうそう。いつもああだといいんだけどな」
 彼女の兄、アルベインは穀物を手広く扱う、ベリオール商会の隊商長だ。そして、ヴォルグの秘密を垣間みた、数少ない者の一人でもある。危機一髪となった彼の隊を、白狼が救ったことがあるからだ。
 その先導役をはたしたヴォルグと黒づくめの戦士たちとの関係を、彼はいまだにつかんでいない。が、その力に期待してか、それとも恩義を感じてか、以来仲介屋に名指しで仕事を流してくれる。他の護衛者との争奪戦をしなくてすむから、ヴォルグたちにとっては上客だった。
「それはそうとさ。なにを真剣に悩んでたんだ?」
「は?」
 軽い調子の問いかけに、ルファールはしばしきょとんと瞳を止めた。
「あ、あはは! ヴォルグさんったら嫌だなあ。私、べつに悩んでなんか」
「ひょっとして男のこととか?」
「ち、ち、ち、ち、違いますっ! そんなんじゃありません」
 ちぎれんばかりに首を振り、そこで周囲の視線に気づいたらしい。
「……あ」
 耳の先まで真っ赤に染めて、へなりと脱力してしまった。
 ――お、おいおい、ほんとに男かよ?
 あまりに無神経だったかと、ヴォルグは反省しきりであった。が、謝罪を口にするより早く、そうする必要はなくなった。
「お店で失敗しちゃったんです」
「へ?」
「夕べ、料理をお客さんにぶちまけちゃって」
 はずれもはずれのかまかけで、倒れんばかりに恥ずかしがるとは。退屈させない娘だと、今さらながらヴォルグは思う。
 看板間近のことだったという。織物で飾られたナゼルの店は、いつも以上に盛況だった。ぎちぎちに並べられたテーブルはそのほとんどが埋まっていて、シェラもルファールも、なにより厨房のナゼルも大忙しだった。そして、足りなくなったためおきの水をシェラが外に汲みに出た、そのすぐ後に事件は起きた。
 やけにできあがりが遅れたソテーを、彼女は急いで運んでいた。作業着姿の注文主たちはすでにかなり酔っていて、横を通るたびにきつい文句を言われていたのだ。
「ああ。そういう奴っているよなあ。いくら仕事でも頭にくるだろ?」
「いいえ。お客さんは悪くないです。それより、いらいらさせちゃってるのが申しわけなくって」
 そこでいったん言葉を切った、ルファールの顔がくしゃりと歪む。
 そう、だから、ついつい小走りになっていた。そして「お待たせしました!」と微笑もうとしたところで、急に背後から呼びかけられた。
「おーい、ルファール! それが終わったら注文頼むぜ」
「はーい!」
 いきなり何かにぶつかったのは、振りむいて数歩も行かぬうちだった。太い悲鳴とたちまち集まった視線のなかで、さあっと血の気が引いていく。こともあろうに、立ち上がった注文主に衝突してしまったのだ。色鮮やかな肉や野菜やそれにソースが宙を舞い、彼の作業着に降りそそぐ。
 こちらの都合や状況などに、お客はいちいち気を回さない。彼らが歩きまわる店内は、つまり目抜き通りの雑踏と同じだ。だから、周囲に常に気を配れ。店に入った頃に何度もこうしたことをして、そのたびにシェラから注意されてきた。このところは粗相をおかすこともなく、もう身についたものだと思っていた。
「それなのに……」
 哀しげな瞳を向けられて、ヴォルグは思わずたじろいだ。どう慰めればいいものか、頬をかきながら考える。結果、口をついたのは、どうにも芸のない一言だった。
「そうかあ。だけど、しちまったことは仕方がないさ。な?」
「いえ、そこから先が最悪なんです」
「先って……。まだ何かあったのか?」
 こくっとうなずいてみせてから、ルファールは大きく深く息をつく。
「私、すっかりあわてちゃって、しどろもどろになっちゃって。そしたら怒りだしちゃったんです、その人」
 なにを言われたかは覚えていない。だが、そこで近くの常連客が、いきなり男に食ってかかった。
「『ふざけるな』ってどなりながらつかみかかって。きっとうるさかったんだと思います。ディアさんもいい色になってましたから、我慢がきかなかったんでしょう」
「で? そのまま喧嘩になったって?」
「はい。もうものすごい取っ組みあいで。ナゼルさんが必死に止めてくれたんですけど、逆に何発か叩かれちゃって」
 ルファールは、もうどうしたらいいか分からなかった。夢中で間に割って入って、なんとか二人を引き離そうとした。そして、気がついた時には、彼らは空を飛んでいた。男はテーブルに突っこんで今度は熱々のシチューを浴び、壁に激突したディアはそのまま昏倒してしまう。
「は、ははっ! そうか、そういうことか」
 彼女の驚くべき怪力ぶりは、ヴォルグも何度か目撃していた。
「もう、信じられないばか力! あの子の先祖はぜえったい馬よ!」
 相棒に言わせるとそうなるが、普段はまったく人なみなのだ。が、動転したり我を忘れてしまった時に抑えがきかなくなるらしい。
「そんなに……、おかしいですか?」
「あ……」
 噴水の虹をじっと見つめる、ルファールの顔に笑みはなかった。
「ご、ごめん。だけど、ほら、元気出せって。うじうじ悩んでるなんて、ルファールらしくないと思うぞ」
「私だって落ちこむときくらいありますよお。先輩にもお客さんにも、すっかり迷惑かけちゃって。ほんと自分が嫌になります」
 ふらふらになりながらも、男はナゼルに文句を飛ばす。ディアは大の字のまま動かない。人だかりのなかから野次が飛び、我関せずの者たちが早くしてくれと料理をせかす。シェラが水くみから戻ってきたのは、そんな混乱のただなかだった。
「あの騒ぎをあっという間に鎮めちゃうんですもん。先輩、やっぱりすごいです」
 シェラはまったくあわてた様子をみせず、いきりたつ男に歩みよる。そして、同性のルファールでさえどきりとするほど、色気たっぷりにやりこめた。ナゼルに着替えを手配して、それからてきぱきとディアを診る。状況が落ちつくにしたがって、興味津々の観客たちも徐々に自席へ戻っていった。
「あとで怒られちゃいました。仕事に少し慣れたからって、気がぬけてるんじゃないかって。おろおろしてる間に、するべきことがあるだろうって」
「ふうん。そうかあ」
 彼女はシェラを尊敬している。それもかなりの入れこみようで。
 まるで飛ぶような身のこなし。柔らかでかわいらしく、そのうえ媚びを感じさせない客への応対。そんな先輩のようになりたいと、口癖のように話すのだった。
「いつもお客さんに迷惑かけて、先輩にしりぬぐいさせちゃって。少しは成長してる気でいたんですけど、やっぱり私ってだめですねえ」
「おいおい、まだ半年たってないんだろ? そう決めつけるには早いって」
「えへへ、ありがとうございます。自分でもそう思うことにはしてるんですけど。人に言ってもらうと違いますね、やっぱり」
 ヴォルグの慰めは、決してその場しのぎのものではなかった。
 シェラが給仕をはじめたのは、確か三、四年前であるはずだ。加えて生家で暮らした子どもの頃にも、経験があると聞いている。いくら努力をしようとも、簡単に追いつけるはずがない。
「あーあ、だけどやっぱり落ちこんじゃうなあ。先輩みたいになりたくて、こんなお守りまで買ったのに」
「お守り?」
「ええ、これなんですけど」
 見れば彼女の胸元で、円いペンダントが揺れている。そこには大きく羽を広げた、つがいの鳥の姿があった。緻密に塗られた青色が、まだぴかぴかに新しい。
 春に北からやってくる、小さな身体の旅行者たち。シアネは、愛と幸福の鳥とされている。はるかな昔、この国の礎を築いたリューベン王とその妃となるヒュリアの仲を、青い小鳥がとりもった。そんな顛末が語りつがれているからだ。それにあやかって、この国では恋愛の願かけにシアネの小物が使われる。
「でも、買ったその日にあの騒ぎですから。効きめないのかもしれないですね」
「どうだろう? 奴らにとっちゃ専門外かもしれないからな」
「そうだとしてもいいんです。シアネでなくっちゃ意味ないですから」
 握りしめたペンダントに、ルファールは小声でなにかをささやく。なにを言っているのかと、興味がわくのが人情だった。が、そんな機先を制するように、彼女は身体を向きなおらせる。
「それより良かったんですか? 私なんかにつきあってくれちゃって。もしかして、なにか用事があったんじゃ?」
「え? いや、大丈夫だよ。暇つぶしに墓参りでもしようと思ったんだけどさ。まあ、そんなのは今度だっていいんだし」
「なに言ってるんですか そんなのだめです!」
 腰を跳ねあげたルファールに、周囲の視線が集まった。しかし、今し方とはうって変わって、彼女はそれを気にしない。くりくりした眼をまっすぐ向けて、むりやりヴォルグを立ちあがらせる。
「お、おいおい。なんだよいきなり」
「そういうのはちゃんとその日にやらなくちゃ。先延ばしなんて良くないですよ」
 両腕を腰にあてた、ルファールの表情は真剣だ。ヴォルグの胸で、それが二番目の姉の姿とだぶる。やたらと両親に逆らう彼を、姉はこうして叱ったものだった。普段のとぼけた言動も、やはり二人はどこか似ている。
「じゃあ、そうするか。ルファールに叱られたんじゃ逆らえないよな」
「えへへ。分かればよろしい」
 苦笑まじりのうなずきに彼女はおどけた口調で応え、にっこりと安堵の笑みを浮かべてみせた。

 それから赴いた共同墓地には、他にも多くの人々がやってきていた。家族連れもいれば一人きりの者もいる。一目で金持ちとわかる者もいれば、反対にみすぼらしい姿の者もいる。
 こうした墓地のにぎわいは、秋独特のものだった。街壁に面した広大な敷地には、ほとんど陽をさえぎるものが存在しない。点在する大樹と高い街壁がわずかな影をつくるのみで、太陽の高い夏にはそれもひときわ狭くなる。無数に飛びかっていた蝶たちまでもが何処へともなく姿をかくし、そしてその再来とともに一気に人影が増えるのだ。
「はじめまして。私、ルファールっていいます。ヴォルグさんにはいつもお世話になってます」
 ひざまづいた祈りの声に、もちろん応えは返ってこない。ヴォルグが渡した花束を、彼女はそっと墓前にたむけた。
 挨拶したいと彼女に言われ、ヴォルグははじめ大いに迷った。この場所を他人とともに訪れるなど、思いもしなかったことである。相棒であるシェラですら、ここに連れてきたことはない。にも関わらず、結局うなずいてしまったのはどうしてなのか? それはヴォルグ自身にも分からなかった。ただぼんやりと、時のなせる技かと思う。
「ありがとな。みんなきっと喜んでるよ」
「ほんとにそうならいいんですけど。もしかしたら、どこのどいつだって怒ってたりして」
「はは、そんなことあるわけないさ。親父もお袋も姉貴たちも、みんな気さくな人だったから。じゃなきゃ……」
 真夜中に訪ねてきた見知らぬ彼らを、家に入れたりはしなかったろう。
「じゃなきゃ? なんです?」
「い、いや。なんでもないんだ。それより、広場にでもいかないか? 出店のふかし芋でもおごってやるよ」
「え? ほんとですか」
「付きあってもらったお礼にね。時間、もう少しなら大丈夫だろ?」
「まだまだぜーんぜん平気です! 今日はお店非番ですから」
 弾むように走りだした彼女は少し先でヴォルグを待って、それから本当にうれしそうに笑ってみせた。
「約束ですよ? 行ってから『やっぱりなし』なんてだめですよ?」
 子どもが親にするごとく、腕にしがみついてヴォルグを引っぱる。そんなルファールの足取りが急にゆるやかになったのは、墓地の出口でのことだった。
「あのお、ヴォルグさん?」
 赤さびの鉄門をあおぎ見て、彼女はぽつりと問いかけた。
「護衛の時の先輩って、どんな感じなんですか?」
「感じって? 性格のことかい?」
「え、ええ。まあ……」
「いかにも護衛者って感じの方がネタとしては面白いけど。残念ながら、ルファールの知ってるあいつとあんまり違ってないと思うぜ?」
 半分は本心で、もう半分はごまかしだった。給仕をしている時にせよ護衛をしている時にせよ、そこにいるのは確かにシェラだ。が、こと仕事の内容に関していえば、両者には決定的な違いがあった。
「そうですかあ。って、あれ? もしかして顔になにかついてます?」
「いや、なんでそんなこと聞くのかなって。まあ、あれだけころころ変わるからなあ。変に思うのも無理ないけどさ」
「あ、そ、そんなんじゃないんです! 私、先輩のこと大好きだし、それに尊敬してるから。だから、色々知りたいと思ってて……」
 なにしろルファールのことである。紅潮しての釈明は、おそらく本心に違いなかった。だが、何度もくりかえされる念押しが、ヴォルグはどうにも気になった。
「それより急いで行きましょう! あのお店、いつも閉めるの早いんですよ」
 腕を引っぱる力の強さも、言外になにかあることを教えてくれる。彼が事の詳細を知ったのは、その何日かあとのことだった。

     ■

 早朝にヴォルグを訪ねてきたのは、何度か見かけた顔だった。あれこれ考えるまでもなく、すぐにアルベインの部下だと思いだす。
 今晩、ナゼルの店で待っている。シェラも交えて話したいから、看板の後にしたいと思う。用件だけを短く告げて、使いはすぐに帰っていった。
 仕事の件であるならば、呼びだす必要などないだろう。いつもそうしているように、仲介屋を通せばいいはずだ。しかし、そんな疑問を持ちつつも、ヴォルグは彼に感謝していた。
「店にはあんまり来ないでちょうだい。働いてるとこ見られるの、あんまり好きじゃないからさ」
 そう止められてしまっているせいで、なかなか好物のソーセージは味わえない。いい機会を作ってくれたお礼に、多少の無理なら聞いてやろう。そんな甘いことを考えながら、ヴォルグは夜ふけの街へと出かけていった。だが、やがてアルベインから聞かされたのはとてもそれくらいでは釣りあわぬ、なんともやっかいな相談だった。
「しつこいわね! いやって何度も言ってるじゃない!」
 客の引ききった店内に、シェラの怒声が響きわたった。長い栗毛をさっとはらって、対座したアルベインをねめつける。
「考えてもみなさいよ。なんで、仕事でもないことで神経すり減らさなくっちゃならないの?」
「礼はするって言ってるだろう? そりゃ、俺の貯えなんてしれてるからな。いつもの仕事ほどは払えないがね」
「そういう問題じゃないってば!」
 平手を受けたテーブルが、ワインの杯をぐらりとゆらした。あまりの鳴りに驚いたのか、厨房のナゼルがちらりと彼らの様子をうかがう。
「プレゼントだったら、他に気のきいたものがあるでしょう? そんな危なっかしい計画に、いちいち他人をまきこまないで!」
 シアネを妹に見せてやりたい。アルベインはいきなりそう切りだした。
 幸せの鳥の渡来地は、ごく狭い範囲に限られる。ヴォルグが知っている限りでは、西部のアルモリカ湖周辺だけだ。行って帰ってくるのには、おそらく十日あまりが必要だろう。
「だいたい、出発するまで日がなさすぎよ。こっちにだって、都合ってもんがあるんだからね!」
「しかたなかったんだって。もう少ししたらシアネは渡りに出ちまうだろうし、休みにしたって今しか取れない」
 交渉は堂々めぐりをつづけるのみで、一向に決着の気配を見せない。
「誕生日のプレゼント、なにがいい?」
 数日前のことだった。そんなアルベインの問いかけに、妹はなぜか激しくためらった。
「あのね、兄さん……」
 蚊の鳴くような声色で二言三言を口に出し、結局そこまでで黙ってしまう。だが、何度もうながしてやるうちに、望みの形がはっきりしてきた。
「兄さんの選んだものなら、なんでも気にいると思うもん」
 毎年お決まりの質問へのそれがいつもの反応だったし、外での食事にしろ、ちょっとした装飾品にしろ、素直に喜んでくれていた。
 そんな彼女のおねだりを、なんとか現実のものにしてやりたい。冷静な判断を下さぬうちに、アルベインはうなずいてしまっていたという。
「亡くなった親父がベリオール商会の隊商長でな。言ってみりゃ、俺は跡を継いだわけなんだ」
 黄金の帯が走る朝焼けの海。春の草原を覆いつくす、眼が痛くなるほどの若葉の緑。そして、そこを駆けぬける見たこともない獣たち。信じられぬほど広大な土地に、考えられぬ数の人々が暮らす帝都、グレイ=ジール。まだ幼かったころ、父から聞かされる旅の話に兄妹は瞳を輝かせて聞きいった。たまにしか会えない彼と共にすごせるのが嬉しかったし、なにより街壁の向こうに強い憧れを持っていた。
 大人になったら、二人で帝国中を旅しよう。そして、父に聞かされた光景を、自分たちの眼で見てやろう。おそれを知らぬ少年時代の、それが二人の合い言葉だった。
「親父の後押しもあったおかげで、俺はなんとか夢をかなえられてる。けど、ルファールの方はなかなかうまくいかなくてなあ」
 ヴォルグもシェラも初耳だったが、彼女もまたベリオール商会に勤めたことがあるらしい。が、配属されたのは事務職で、くりかえした隊商への転属希望もついに聞きいれてはもらえなかった。二年がんばってみた末に、結局辞めてしまったそうだ。
「女の一人旅にしろ隊商の仕事にしろ、そんなに現実は甘くない。あいつも、分かってると思うんだ。でも、一度だけでもいい。一生の思い出に、壁の外を旅してみたい。そう言われちまったらさ、俺には断わりきれなかったよ」
「それはそっちの都合じゃないよ。仕事が仕事なんだから、護衛者なんて掃いて捨てるほど知ってるでしょう? 素直に他へ頼みなさいよ」
「いや、だめだ」
「……! どうしてよ」
 さらりと否定を返されて、シェラの声量が一気に上がった。
「どうして私たちじゃなきゃいけないの こいつはどうだか知らないけどさ。私、そんなに暇じゃないわよ!」
「それでもだめだ。あんたじゃなくっちゃ意味がない」
「もう耳たこ! オウムみたいにおんなじ台詞をくりかえしてさ。あんた、ちょっとおかしいんじゃない?」
 頭の横で指を回され、どんとアルベインが床を蹴る。だが、そんな行動とは裏腹に彼の表情は平静だった。
「シアネが目的だからだよ」
「……へ?」
 いきなり話を戻されて、シェラは混乱しているようだった。頬にてのひらを押しつけて、何度か左右に首をかしげる。
「あ、あのさあ、アルベイン?」
「なんだ?」
「……ほんとに変になっちゃった? それと私と、なんの関係があるっていうの?」
 かみ合わぬやり取りを聞きながら、ヴォルグは墓参の日のことを思いだしていた。
 シアネでなくては意味がない。買いたてのペンダントを握りしめ、ルファールは謎めいたことを言っていた。あの時抱いた疑問の答えが、これではっきりするかもしれない。
「リューベン王の物語は知ってるか? あいつが大好きだった話なんだが」
「当たり前でしょ。半年この街に住んでるあいだに、いやっていうほど耳にしたもの」
「そうか。それなら説明しやすいな」
 ぐっとエールをあおったアルベインが、ぬれた鼻を拳でぬぐう。
「いつだったか、旅から帰ってきた親父が開口一番言ったんだ。『おーい、シアネをこの眼で見てきたぞ』って」
 幸せの青い鳥が、現実の世界にもちゃんといる。それを知ったルファールははじめ眼を円くして、それから父の胸へと駆けこんだ。
「そんなあいつが言うんだよ。あんたはまるでシアネだって、それこそ口癖みたいにね」
 どこからかこの国にやってきた、小さな幸せの配達人。客たちの表情を見ていると、彼女はいつも思うのだという。軽やかな仕事ぶりはまるで空を舞うかのようだし、瞳やリボンもシアネの色を連想させると。
「あんたのことを話しだすとさ、いつまでたっても終わらないんだ」
「へえ……。そうなの?」
 シェラはそっぽを向いたまま、そう問いなおしたきりだった。小さくちっと舌をならして、居心地が悪そうに身体をゆらす。
「いつか先輩みたいになるんだって、仕事を楽しみにしてたんだけどな。この話をしている時に、急に辞めるって言いだしたんだ」
「……! な、な、なによそれ?」
 アルベインは、予兆を感じとっていたという。明るいルファールの口数が、このところ極端に減っていた。話しかけても上の空で、ふさぎこんでいることが多かった。
「自信喪失ってことらしい。あんたと自分を比べちまって、嫌になってるらしいんだ」
 辞職の決意を固めたからこそ、彼女はシェラと行きたがっている。共通の思いでを欲しがっている。ぐっと身体を乗りだして、アルベインは訴えた。
「……」
 なにも言おうとしないまま、シェラは考えこんでいた。あちこちに下げられた壁かけを、順に青い瞳がたどる。
「ごめん、アルベイン。私、やっぱりやめとくわ。事情については分かったけどさ。……そういうことならなおさら、ね」
「それじゃこれで決まりだな。俺もこいつと同じだよ」
「……ヴォルグ?」
 シェラの驚いた表情に、彼は思わず苦笑した。こいつは向こうにつくだろう。そう思われていたに違いない。
「あんたは女に甘すぎんのよ!」
 こうしたことがあるたびに、ヴォルグは彼女の非難をあびる。充分すぎるほど自覚があるから、いちいち否定をしたりはしない。だが、今夜に限ってはいつもと違った。
 どちらへ転ぶことになるにせよ、相棒の判断を優先しよう。事情を聞かされ終わらぬうちから、彼は心に決めていた。
「そうか……。それじゃあきらめるしかなさそうだなあ」
 深いため息をもらしつつ、すっとアルベインが席を立つ。彼はいくどかごしごしとこすった顔に、かすかな笑顔を浮かべて消した。
「無理言っちまって悪かった。これからも隊のお守りをよろしく頼む」
 アルベインが店を出ていくと、二人は互いに黙りこくった。街はとうに寝静まり、足音も酔客の大声も聞こえてこない。重たい静寂はしばらくつづき、やがてシェラがそれを破った。
「ねえねえ、明日は大雨降るかもね」
「へ? なんだいそりゃあ?」
 呆気にとられるヴォルグの肩を、白い指先がちょこんとつつく。
「あんたらしくないじゃない。あんなにはっきり断るなんてさ」
「お前とおんなじ理屈だよ。働いてるとこなんて、あんまり見られたくないからな」
「あはっ! あのこと、いまだに根に持ってんの?」
 短い笑いをはじけさせ、シェラはいつものようにワインをなめた。が、その表情も声色もどこか暗く湿っぽい。
「そっかあ。あんたも似たようなこと考えてたんだ」
 表を吹きゆく秋の夜風が、ときたま扉を小さく鳴らす。ろうそくの炎とシェラの栗毛が、そのたびごとにふわふわ揺れた。
「ふうん。ずいぶんと困りはててるみたいじゃないか」
 杯を取りかえる腕をたどると、そこにはナゼルの姿があった。調理着に染みた色とりどりの円形が、一日の奮闘を物語る。
「まあ、これでも呑みながらじっくり考えてみるといい」
 厳めしい顔だちに似合わぬ笑みが、見あげる二人に送られた。
「なんだよ。無関心なふりして、話はしっかり聞いてたのかい?」
「なにを言う。あれだけ大声だしてりゃな、となりの婆さんにだってつつぬけさ。まったく近所迷惑もいいとこだ」
「あ、ご、ごめんね、ナゼル。なんかいらいらしちゃってさ」
「いい、いい」
 気まずげなシェラの眼前で、彼は毛深い腕を左右にふった。空いた椅子へと腰をかけ、おだやかな視線を彼女にむける。
「あれだけ懐いてくれてるもんな。なんとか助けてやりたいんだろ?」
「違うわっ! だって、そんなのあの子の勝手じゃないよ!」
 とたんにはじけた金切り声にも、しかしナゼルは平気のへいざだ。
「ほら、静かに」
 なにやら意味ありげに笑ってみせて、ひとさし指を口へと運ぶ。と、シェラは「うっ」と小さくもらして、それきり言葉につまってしまった。
「なにを怖がってるのか知らないが、あの子は頭がいいからな。おかしなことになったとしても、きっと肥やしにしちまうさ」
 本音を察して言っているのか、ヴォルグに分かるはずはない。しかし、そうでなかったとしても、内容は本質をついていた。
「店のことなら心配するな。それくらいの間なら、知り合いの店から人手を借りるさ。で、実は頼みがあるんだよ。いや、頼みというより、こいつは仕事だ」
「……仕事お?」
「ああ。先輩として、あの子を説得してきてほしい。せっかく二枚看板ができたってのに、今いなくなられちゃ台なしなんだよ。うまくいったら、そうだな。シチューのあとで、包み焼きでも教えてやろう。ただし、失敗したらどっちもなしだ」
 シェラは返事をしなかった。代わりに、およそらしくない勢いで杯のワインを一気に呑みほす。
「あのさあ、ヴォルグ」
「ん?」
 ふうっと大きくつかれた息が、甘い香りをほのかに散らした。
「もしもよ。もしも、私が行くって言ったら、あんたいったいどうするつもり?」
 わざわざ問われるまでもなく、ヴォルグにごねるつもりはなかった。
「さっき言わなかったっけ? 俺はお前と同じだってさ」
「ああ、そういやそんな覚えもあるわね。それじゃ、ひとっ走り追いかけて、あいつと予定あわせてきてよ。出発の時間と、それに待ち合わせの場所ってとこね」
「へ……? 俺が、かよ? 話の主役はお前だろうに」
「男でしょ? かわいい相棒がこうしてお願いしてるんだから、文句言わずに引きうけなさい。だいたいね、ぐだぐだしてたあんたと違って、こっちは仕事で疲れてるのよ」
「へえへえ。まったくおおせの通りです」
 いったいどこが「かわい」くて、これのどこが「お願い」なのか。ヴォルグは失笑とともに頭上をあおぐ。が、それでも心に不満はなかった。
「急いで行ってくるからさ。戻ってくるまで待っててくれよ」
 立ち上がりつつの一言にシェラは小さく微笑んで、それから胸で両手をあわせてみせた。

     ■

 とうに陽が昇っている頃合なのに、出発の朝は薄暗かった。頭上をおおった雲の底から、ぱらぱら小雨が落ちてくる。ぬれた街壁や石畳の色が、いつものそれより濃く重い。
 ――まあ、秋は雨が多いから。初日でかえって良かったかもな。
 皮のコートで身をおおい、ヴォルグは少し早めに部屋を出た。フードのなかから見上げてみると、雲は思ったほどに厚くない。どうやら、長雨の心配はなさそうだった。
 アルベイン指定の集合場所は、街を出てすぐの草はらだ。いつもの仕事と同じだが、今日は拾っていくべき者がいた。
 朝の混雑に邪魔をされつつ、月の門をひたすら目指す。やがてそれをくぐり抜けると、周囲はようやく静かになった。都をつらぬく街道は、他のどの通りよりはるかに広い。行く者の数が変わらなくても、流れの密度はうすくなる。そして、それをはさんだ太陽の門に、ヴォルグは旅の道づれを見いだした。やはりコートに身を固め、鞍つきの馬をしたがえている。
「おはようございます」
 歩みよるヴォルグにすぐさま気づき、彼はフードを外してにこりと笑った。
「よお、フューリイ。いいのを連れてきてくれたみたいだな」
「もちろんですよ。あんまり時間がなかったおかげで、手配に苦労しましたけどね」
 この金髪の若者は、リュティスの秘蔵っ子とでもいうべき存在だ。同じ白狼の一員ながら、協力員のヴォルグとは立場が違う。
 その整った顔だちからは、いまだ少年の香りが消えきっていない。背が高いとは言えないし身体の線も細いからとてもそうは見えないが、彼は正真正銘、あちらの世界の住人なのだ。
「それにしても、お前とシアネ見物とはね。おかしなことになっちゃったよな」
「はは、そうですね。でも、あの方が『行け』とおっしゃるのなら、私は黙ってしたがうだけです。仕事以外で言われたことは、これがはじめてですけれど」
 ヴォルグは気の毒に思っていた。この件でもっとも驚かされたのは、実はこいつなのかもしれないと。
 協力員とはいうものの、長く家を空ける時には彼らへの連絡が必須とされる。だから、ナゼルの店から帰った深夜に、ヴォルグは窓の金具へひもをからめた。それが連絡ありの印になって、たいていはどこかでフューリイが接触してくる。だが、今回はまだその先につづきがあった。翌日になって、彼が同行を申しでてきたのである。
 ルファールのための旅なのだから、白狼がらみは勘弁してくれ。ヴォルグはもちろん抵抗したが、リュティス直筆の手紙を読まされ、ついに受け入れるしかなくなった。旅なれぬだろう娘のために、馬を一頭用意しよう。それに神に誓って仕事ではない。純粋に旅の仲間としてなのだと。
 やがて到着した集合場所では、いくつかの隊商が出発準備の最中だった。とはいえ、行きかう人馬や荷の数は、いつものそれよりはるかに少ない。大半の隊はすでに出発していったのだろう。緑のじゅうたんのそこかしこに、喧噪のなごりだけが残されている。
「おはようございます、ヴォルグさん!」
 ぱっと振りむいたルファールが、明るい声をはじけさす。左右に振られるコートの袖から、細かな雨粒が飛びちった。
「紹介するよ。こいつが例の『馬のおまけ』さ」
「はじめまして! 私、ルファールっていいます」
「よろしく。それとすみません。楽しい旅に、なんか図々しくおしかけちゃって」
「あははー、全然そんなことないですよ。超一流の護衛者さんと、一緒にお出かけできるんですもん。仕事のこととか旅のこととか、色々教えて下さいね」
「は、はあ。喜んで」
「頼りにしてるわよ、『超一流の護衛者』さん?」
 ちくちくいじめるシェラにむけ、たちまち抗議の視線が飛んだ。だが、彼女は気にする様子もみせず、にやりと笑うのみである。
 あまり首を突っこむと、ヴォルグを悲しませることになるだろう。そんな警告を、彼女はフューリイから受けていた。関わりあうなと言うくせに、どうしてのこのこついてくるのか。事前に話を聞かされて、反発したのも当然だった。
「ああ、あの時あんたが連れてきた『正義の味方』とかいう奴か」
 隊を救った黒づくめの戦士のことを、アルベインも鮮明に記憶していた。
「いつか聞こうと思ってたんだが。あんた……、あいつとどういう関係なんだ?」
 予想していた質問に、ヴォルグはもちろん答えていない。みえみえの嘘かもしれないが、護衛者仲間で納得してくれ。苦笑しつつの説得に、彼はいぶかしげながらもうなずいた。フューリイに恩を感じていたのだろうし、無理な依頼をしたという、負いめもあったに違いない。
「さあ、これで全員そろったことだし、そろそろ行くとしようじゃないか」
 ぬれた鞍を拭きながら、アルベインは明るさを増した空を見あげる。と、そのはるか彼方から、ぱっと陽ざしがさしこんできた。
「わあ、ほらほら! 虹ですよ! すっごーい!」
 ルファールの上ずった歓声を、皆の視線が追いかける。美しい七色の弓形は、まるで草原にそびえる巨大な門だ。そのきらめきを追いかけて、アルモリカ湖への旅ははじまった。

 かすかに見えていた街壁も、いよいよ霞のなかへ姿を消した。ほどなく広い街道に別れを告げて、ヴォルグたちは西部随一の都市、リューベンへの道に歩みを進めた。古の人名が冠されているわけは、そこが彼の王国の都であったからである。
 アルモリカ湖は旧都の数日ばかり手前に位置し、物語ではそこで異国の娘と王子が出会う。そしてクライマックスで、彼女はこの道、ダイヴェド街道を通って嫁いでいくのだ。様々な障害をのりこえて、晴れて王となった男の元に。
 だが、そんな夢にあふれた話の舞台も、歩けばただの枝道だ。はるかに続く草原もあちこちに散らばる林や森も、この国では極々ありふれた光景だから。しかし旅の主役には、それすらも新鮮であるらしかった。はずむような声色やフードのなかで輝く瞳が、喜びのほどを物語る。
「寒くない?」
「ええ、大丈夫です」
 馬上をあおぐシェラに向け、彼女はにこりとうなずいた。
 雲はいよいよ切れはじめ、雨もほとんどやんでいる。が、ときおり思いだしたようにざあっとくるから、コートを脱ぐには早かった。
「身体ぬらしたりしないようにね。後から急に冷えてくるから」
「ありがとうございます。ヴォルグさんもフューリイさんも、それに兄さんも。みんながくれた最高のプレゼント、私一生忘れません」
「はは、そんな大げさな話じゃないさ。どうせ暇をもてあましてたし、フューリイだってそうだったんだ。なあ?」
「は……?」
 きょとんとするのも無理はなかった。白狼の中心人物たるフューリイに、そんな余裕などあるはずはない。が、そんな現実はさておいて、彼は話をあわせてくれた。
「え、ええ。そんなこと気にしてないで、せっかくの休みを楽しみましょう」
「私もさあ、たまには遊ばせてもらうつもりなの。仕事や雑用は二人に任せて、あんたと一緒に目いっぱい、ね。ま、そういうわけだから、よろしく頼むわあんた達」
「了解了解。そのへんのことは任しとけって」
 実際のところ、シェラの様子はいつもと違った。
 アルベインが引く馬によりそって、おだやかにルファールと会話をかわす。彼女が笑えば一緒に笑い、何かを示す指先を興味津々追いかける。故郷の光景を懐かしそうに話したり、相棒がいかにだらしないかをはでに誇張して聞かせてやったり。そのいずれもが、護衛者としても給仕としても決して見せない顔だった。
「先輩! また町が見えてきましたよ。これで、ええっと……、四つめですよね?」
「五つめじゃなかったかしら?」
「えー? 四つですよお。ねえ、ヴォルグさん? そうですよね?」
「残念ながらシェラが正解。今夜はあそこで一泊だ」
「ほーらね」
 シェラに足をつつかれて、ルファールのほっぺたが大きくふくらむ。それがぷうっと噴きだして、たちまちころころとした笑いになった。
「あはははっ! 着いたらゆっくり湯浴みでもして、それからご飯食べようね。うーんと贅沢しちゃってさ」
「よおし、お腹いっぱい食べちゃうぞお」
 妹がはずませた返答に、アルベインの背中がぴくりと動く。
 ――はは。兄貴ってのも大変だねえ。
 たまにはこういう旅もいいかもしれない。こみあげる笑いをおさえつつ、ヴォルグはあらためて実感していた。懐の心配が必要なのも、これが仕事ではないからだ。そして、そんな旅であるゆえに、様々なものが見えてくる。
 やがて町に入るころには、雨はすっかりやんでいた。まるで燃えているような夕焼けが、明日の陽光を約束している。窮屈で重たいコートを、どうやらしまいこむことができそうだった。部屋もすんなりと確保でき、こうして旅の初日は終わっていった。



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posted by omune at 00:00| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 創作、制作 | 更新情報をチェックする
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