2001年01月20日

『 死にたがりのリル 』1(文字拡大版)




死にたがりのリル



大宗むねひろ




 幾つもの窓から噴き出した炎が、周囲の家々を揺らめく紅に染めている。
「火事だ! 宿屋が、山嵐亭が燃えてるぞ!」
 真夜中の凶事に家々から飛び出してきた人々は、しかしあまりの火勢に圧倒され、着の身着のままで右往左往するしかなかった。
「おい、大丈夫か! おい!」
 遠巻きに通りを埋め尽くした人垣の中で、髭面の男が武装の女性を抱き起こした。亜麻色の編み込み髪を揺らした彼女は、しかしそれに応えない。
「しっかりしろ! 早く目を覚ますんだ!」 
 二度三度と揺すられて、ようやく女性のまぶたが動いた。青緑の大きな瞳がぼんやりと眼前の男を、それからその向こうで燃え盛る炎を見やる。それを何度か繰り返したところで、突然彼女の表情に力が戻った。
「良かった、気が付いたか。見つけるのが遅れてたらやばかったぞ」
「ゼハス! あの人は? ルフレイはどこ?」
 ひと息に跳ね起きた女性の問いは切迫していた。
「心配するな。今、カレンが探してる」
「探してる? まさか、いないの?」
「……ああ。だけど、きっとそこらで見物してるさ」
 だが、そんな慰めとは裏腹に、ゼハスの定まらない視線は絶望的な状況を表している。女性は唇をきつく結んで、しばしの間だまりこくった。が、不意にブーツの踵を返すと、燃え盛る宿屋に向けて走りはじめた。思いもしなかった行動に一瞬呆気にとられたゼハスが、あわてて揺らめく影を追う。
「なにしてるっ? 死ぬ気か!」
「離して! 離してったら」
 背後からつかまれた細い手首を、女性は千切れんばかりに揺さぶった。が、大剣の使い手であるゼハスに力で勝てるわけがない。
「待ってて、ルフレイ! いますぐ行くから!」
「馬鹿言うな! とにかく落ち着いて前を見ろ!」
 木造二階建ての宿は今や壁までも炎上し、巨大な業火にすっぽりと包まれてしまっている。
「……もしもあの中だったら間に合わん」
「返事してよ! お願いだから!」
 必死の形相で叫ぶ女性はしかし、圧倒的な腕力に徐々に抵抗できなくなっていった。ゼハスの腕にもたれかかって、細身の身体がくたりとくの字に曲がっていく。
「わ、たしが……、私がもう少し早く気づいていれば。そうすればあんな奴に、ラヴェッサなんかに」
「ラヴェッサ? どこにいるか知ってるのか? 実はあいつも見あたらないんだ」
「いるわけないっ! 全部あいつがやったんだから!」
 ずるずると引きずられながら女性は精一杯に腕を伸ばし、震える指を何度も中空に滑らせる。吹きすさぶ熱風に火の粉が舞い、二人の頭髪がちりちり鳴いた。
「ラヴェッサがなんだって? 畜生、いったい何がどうなってる?」
「あの、お、んな……。ゆるさない……。絶対に逃がさないっ!」
 血走った女の眼に涙はなかった。人垣の前にへたりと座り込んだ彼女は焦点の定まらない眼差しを泳がせながら、いつまでも同じ名前をつぶやき続けていた。
「ルフレイ……、ルフレイ……」と何度も、何度も。

     ■

 新緑まぶしい広葉樹林。そのへりを添うように、土むき出しの道が続いている。フォルテア大陸東岸の街々を半円状につなぐ、ディバインという名の街道だ。
 まばらに草が生えたり、所々でこぼこしたりはしているものの、大陸北東部に位置するこのレドナーグ帝国と南部を治めるオウマ王国を結んでいるこの道は、人や荷の流れに大きな役割を果たしている。
 そんな帝国の大動脈をリルは独り、とぼとぼと歩いていた。昨日までの雨が残していったぬかるみに時おり足を取られる様が、旅への不慣れさを物語る。大人の男としてはいくぶん線の細い身体に、ふくらんだ背嚢が重そうだった。
「ふう……」
 だるそうに巡らされた空色の瞳が、ほどなく路傍の岩で動きを止める。大きさも形も、一休みするのに良さそうだった。
 靴すら重そうに足を引きずり、リルはようやくたどり着いた岩に腰かけた。汗がしたたる金髪をくたびれたタオルで拭い、それから腰の水袋を外して中身をあおる。
「疲れたなあ……」
 つぶやきが向けられた青空を瑠璃色の鳥が横切った。鳥は幾度か円を描くと、「ぴいっ」と澄んだ声を残して街道のはるか先、三年ぶりとなる故郷の方向へ飛んでいく。その後を追いかけたリルの視線はしかし、すぐに生い茂った木々にさえぎられてしまった。前方に張り出した森を避け、道は大きく右方へと蛇行している。それは、まるで彼の現況をそのまま表しているかの様な風景だった。
 職を放り出し逃げ帰った一人息子に、母はどんな表情を返すのだろうか。亡き父の墓前に、なんと報告したら良いのだろうか。そして自分はこの先、どうなっていくのだろうか。
 故郷の町で同じ仕事を探すのか、それとも新しい道を探すのか。今の彼にはそれを決めるのすら難題だった。
「死にたいよ、もう……」
 このところの口癖だった。一人旅だから幕引きするならいつでもできる。だが、そんな勇気などない事を彼は痛いほど承知していた。それに、なにより故郷の母に申し訳が立たない。
「うあー、いらいらするっ!」
 先ほど追い抜いて行った隊商も、今では視線をさえぎる森の向こうだ。つい上げてしまった大声を聞く者など、どこにもいないはずだった。が――
「君! そこの君!」
 そんな背後からの呼びかけが、リルを我に返らせた。
「え……?」
 振り返ってみるといつからそこにいたのだろうか、見知らぬ女性が風に亜麻色の髪を揺らしていた。明らかに年上だろうが、端の下がった円い眼と肩で切り揃えられた髪型のせいか、美しさよりもかわいさを強く感じる。しかし、皮のブーツや胸当てで身を固め、ごついナイフまで帯びているのを見ると、とてもそんな印象通りの人物ではなさそうだった。
「逃げて! 早くこっちへ!」
 大げさなほどの手招きに、しかしリルの反応はいたって鈍い。
「逃げるって……、僕がですか?」
「そうだよ! 他に誰がいるのかな?」
「でも……、なんで逃げなきゃいけないんですか?」
「ぶつくさうるさい! なんでもいいから言う事きいて」
 リルの問いかけを切り捨てて、女性はふわりとスカートをひるがえした。背嚢を揺らせて走り寄ると、青緑の瞳をあらぬ方向へ滑らせる。かわいい顔立ちとそこからほとばしる殺気との差に、リルはようやく尋常ではない事態を悟った。ごくりとつばを飲み込みながら、おそるおそる身体を回す。
「う、わ……」 
 リルはそう漏らすのがやっとだった。わずか十歩ほどしか離れてはいない場所で巨大な折りたたみ式の鎌が二つ、並んでもたげられていたのである。そしてその向こう、背丈の三倍はあろうかという高さから、無感情な複眼が彼をじっと見下ろしていた。逆三角形の頭部から長い触角が伸びていて、そよ風にゆらゆらと揺れている。
「こ、これって……。か、か、かま、かまっ……」
「うん。どこをどう見たってそうだよね」
「で、でも、でも。こんなに大きい、か、かまっきいなんて……」
「噛んでる噛んでる! とにかく少し離れてなさい」
 荒っぽくリルを突き飛ばした女性は腰の革袋から何かを取り出し、左の掌で胸元へ運んだ。見ればガラスのように透き通った、小ぶりの鶏卵ほどの丸い石だ。
――この人……、魔術師なんだ。
 説明されるまでもなく、リルはそれが何かを知っていた。
 美しく揃えられた右人差し指と中指が、なめらかに石の上を滑っていく。と、透明な石の内側で深い青色の炎が揺れた。続いて、差し上げられた右手の周囲に無数の白い粒が現れる。それはみるみるうちに渦を巻き、間もなく陽光にきらめく長い氷槍を形作った。
「やっ!」
 短い気合いと共に投げ放たれた槍は後ろに湯気を引きながら、猛烈な勢いで宙を走った。そしてそのまま、巨大な敵の眼前に柱のごとく突き刺さる。その勢いにたじろいだのか、カマキリは得物を身体に引き寄せて一歩、二歩と後ずさった。
「あ、はずれた……」
「失礼な! はずれたんじゃなくてはずしたの。蟲はぐちゃってなるから嫌なんだよ」
 敵から視線をそらさぬままに、女性はもう一度石に炎を灯す。
「でも、次は当てる。じゃないと、こっちが潰されちゃうからね」
 本気の声色に反応してか、蟲は左右に大きく羽を広げた。そして、次の刹那には巨体が空へと舞い上がる。生臭い風と低い羽音を残しつつ、カマキリは森の奥へと姿を消した。
「退いてくれて良かった。気持ち悪いの見なくてすんだ。ね?」
「は、はあ……。助けていただいてありがとうございます」
 リルの抑揚は単調で、明らかに気持ちがこもっていない。しかし、微笑みを向ける魔術師にとって、それはどうでも良い事らしかった。彼女はさっと石を拭き、腰の袋へ優しく戻す。
「危なかったね。魔蟲は人けがある所にはあまり近づこうとしないけど、たまに出てくる奴は凶暴だから」
「あれが……、魔蟲……」
 巨大化、凶暴化し時に人をも襲う虫や動物。魔蟲や魔獣については街の住人も知識として、あるいは噂話のネタとして知っている。が、出会った経験はと問えば、うなずく者はおそらく一分に満たないだろう。
「君さあ、一人ならもっと周りに気を付けないと。運が悪かったらあいつのおやつになってたかもよ」
 幼子をたしなめてでもいるかの様に、腕を組んだ女性が首をかしげる。と、リルの表情に穏やかならぬ感情が現れた。怒りからかいらだちからか、見る間にきつくなった視線が向けられたのは、彼女の瞳ではなくその足元のぬかるみだったが。
「……それでも良かったのに」
「え?」
 消え入るようなつぶやきが聞き取れなかったに違いない。女性は耳に手を添えて、リルへと顔を近づける。
「なになに? もう一度言ってくれる?」
「別に……、いいです。ただのひとり言ですから」
「ふうん。二人でいるのにひとり言、ね」
 リルの顔から足下へ、彼女はさっと視線を巡らせた。それから「ふうっ」と息をつき、さらに明るく問いかける。
「ところでさ、君はこれからどこまで行くの?」
「ルスタインの少し先まで。実家がそこにあるんです」
 それは大陸北東端に位置するローデアンの領都で、帝国第二の規模を誇る港湾都市だ。海と広葉樹の森に囲まれたその街は暮らしやすい事で知られており、冬でも比較的暖かく夏も暑すぎる事はない。
 そんなルスタインから二日ほど歩いた小さな町に、リルの生家は存在していた。三年前に彼が街へと出た後は、母親が一人で家を守っている。
「そうかあ。それはそれは奇遇だねえ。私もそっちに行くんだよ」
「へえ、そうなんですか」
 リルはなおも無関心を隠そうとしていない。だが、それでも女性はたじろがなかった。
「これも何かの縁だからさ。ルスタインまで一緒に行こうよ」
「はあ? 一緒に、ですか? でも……」
 無論、否定の意味だった。別に嫌悪を感じているわけではない。透んだ瞳や明るい声におかしな思惑の気配はないし、向けられる笑みに何度も視線が引き寄せられる。だが、だから尚更なのだった。彼女の屈託ない明るさはリルにとって強すぎた。真夏の陽光で時に草木が枯れはててしまう様に、自分にはとても受け止めきれないと感じた。しかし――
「大丈夫、大丈夫。足手まといにはならないよ。さっきの魔術、見てくれたでしょ?」
――は、ああ? この人、何を言ってんだ?
 先刻の状況を考えれば、どちらが足手まといかは明白だろう。嫌味なのか謙遜なのか、この魔術師の言葉にはどうも掴みどころがない。
「さあ、行こう! 今日は絶対に宿屋のベッドで眠るぞお」
 ぱんと掌を打ち合わせ、彼女は元気に手招きをしてみせた。見れば、その左薬指には婚姻の証がはめられている。透明な輪の中に黄赤の光が揺れる、なんとも美しい指輪だった。
――大変なんだろうな、この人の旦那さん。
「あ、ちょっぴりだけど笑ったね。私はアーナ。アーナ=エス=ティエル。君は?」
「リル……。リル=ファーシニスです」
「おおー、いい名前だねえ。よろしく、リル君」
 アーナがぴしっと差し出した掌に、いかにも気だるげなリルが応える。北の帝国レグナードの新緑まぶしい街道で、リルとアーナはこうして出会ったのだった。

   ■

 夕方まで歩き続けた彼らはルステインまで三日の距離にある宿場町、エイヴスにたどり着いた。まずは良さそうな宿に部屋を取り、それから主に教えてもらった酒場を目指す。町の規模相応に見える小さな酒場は土地っ子だけでなく、商人や旅人でなかなかの繁盛ぶりだ。
「うん。美味しい美味しい。さすが北の豚肉は最高だねえ」
 何切れ目かの炙り焼きを呑みこんで、アーナは至福の表情を出会ったばかりの連れへと向けた。
「ほら、リル君も食べて食べて。今夜は私がおごるから勘定の心配はいらないよ」
「は、はあ……」
 彼女はことのほかよく食べ、よく飲む。対座したリルは、その勢いにすっかり圧倒されてしまっていた。一日歩いてきたのだから彼とて腹は減っている。それでも、口に運んだ料理の量はアーナの足元にすら及ばなかった。
「ねえねえ。いまさらだけど仕事は何をやってるの?」
「え?」
 そんなありふれた問いかけに、リルは視線を泳がせた。たずさわっていたのは決して公言できない仕事ではない。しかし、逃げだしてきたうしろめたさと相手が魔術師である事が、それを口にすることをためらわせた。
「仕事だよ、仕事。見たところ、力仕事じゃなさそうだよね」
「……石作りです」
「精石師! ほんとに?」  
 卓上に身を乗り出した彼女は元より大きな目をさらに大きく、円くした。リルが予想したのとは、正反対の反応だった。
 精石師とは蟲を相手にアーナが用いた、魔結晶を作りあげる者たちだ。魔術師が自ら術力を練り上げるのではなく、あらかじめ石に封入されたそれを用いる。その技術が見いだされたのは、もう何百年も前だと言われている。この発見によってより強力な術をより早く発動できるようになり、魔術は大きな発展を遂げた。そして現在もなお、日々進歩を続けている。
「そうかあ、リル君は精石師だったのかあ」
「そんな……、ただの石作りです」
 二人の言い回しの違いは、つまるところ尊敬と自虐からくるものだった。
 魔結晶技術の発見と発達により、術力を扱う技術はいつしか二系統に分化した。一部の鉱脈から掘り出される特殊な石に術力を封入し魔結晶へと変化させる精石術と、それを使って様々な力を発動させる魔術とに、だ。そして長い年月を経るうちに、作る者と使う者の立ち位置は段々と異なるものになっていった。
 子どもたちが憧れ、大人たちが賛辞するのは常に術を使う者たちだ。魔術に縁のない人々は、術力を封入した者の存在をいちいち意識したりはしない。
 魔結晶の質によって術の効果は大きく変わる。腕の立つ魔術師が良質の石を使ってこそ、強力な技が発動するのだ。稚拙な者が不相応な魔結晶を用いても力を引き出しきれないし、悪くすれば術力暴発で命を落とす危険もある。また、その逆であれば石は術者の求めに応えきれず、粉々に砕け散ってしまうだろう。
「うんうん、凄いね。職人なんだね」
 アーナは一人でうなずいて一人で勝手に納得している。どうも本気で感心しているらしい事に、リルは少なからず当惑していた。
 昼間の術を見れば、彼女がかなりの使い手であることは明らかだ。そしてそんな魔術師は大抵、石作りたちを下に見る。銘付きの魔結晶を生み出すような一流の職人相手ならともかく、消耗品を作る『石作り』相手ならなおさらだ。魔術師たちと同様、精石師の世界にもえげつないほどの階級差別が存在するのである。ところがアーナに限っては、そこに拘りがないらしい。
「アーナさんて変わっ……、あ、いえ、優しいんですね。さっきの火種の事だって――」
 見知らぬ老婆が歩み寄ってきたのは夕刻、この町に入った時の事だった。
「そちらの美しいお嬢さんは、もしかしたら魔術師様かね?」
「う、美しい?」
 ぱっと表情を輝かせたアーナが「どうだ」と言わんばかりにリルを見る。
「いかにも。それで、私に何かご用でしょうか?」
「実はその……、お願い事がありましてなあ。魔術師様相手におこがましいとは思うのですが」
 頭を垂れてみせながら、老婆は素焼きの壺を差し出した。見ると、中には数片の干からびた木屑が入っている。
「どうした事か、今日はまだ火種屋が来ておりませんで。どうかそのお力で助けてはいただけませんか」
 つまり、煮炊きや灯りに使う種火を起こして欲しいというわけだ。
 ある規模以上の町や村には、低度な魔術を生業としている者たちが必ずいる。老婆が言う火種屋をはじめ、水の浄化や氷の製造を行う水屋、道や建物の工事を手伝う土木屋などがそんな『生活魔術師』の代表的な存在だ。
「え? あ、いえ、私はそういうのはちょっと……」
 アーナは明らかにためらっていた。さもあらんと蚊帳の外に置かれたリルは思う。
 魔術の資質は万人に与えられているわけではない。それどころか、低度な技しか使えない者すら圧倒的少数なのだ。アーナのような高位魔術師はまさしく選ばれた者たちと言え、人々から羨望のまなざしを向けられている。
 一方、どこにでもいる火種屋や水屋、土木屋達に対して、世間は何の尊敬も持ってはいない。その一般的な認識は「凡庸な魔術以外に取り柄のない者たち」というところだ。高位魔術師たちへの妬みや劣等感の裏返しか、町や村によっては「仕方なく置いてやっている」程度の扱い方すらされている。つまりアーナに向けた老婆の願いは、侮辱と受け取られて当然のものだった。
「申し訳ありませんが、もう少しお待ちになられてみてはいかがですか?」
「そうですか。……いや、失礼なお願いをしてしまいましたのお。どうぞ悪く思わんでくだされ」
 はなから断られると覚悟していたのか、老婆はあっさりと引き下がる。と、そこへ中年男性が、息を切らせて駆け寄ってきた。
「なんだ婆さん、ここにいたのか。……はあはあ。こりゃあ、きついきつい」
 男性はリルやアーナには目もくれず、吹き出す汗を何度も拭う。
「おお、イーディーか。それでどういう按配じゃった?」
「いやあ、だめだめ。あの野郎、どうもしばらくは無理そうだ」
 聞けば、いつまで待っても現れない火種屋の様子を確かめてきたのだそうだ。哀れな火種屋が言うには屋根の修理中に梯子から落ち、腰を強打してしまったのだとか。歩くのもままならず、火種どころではないらしい。
「代理は手配したそうだが今日については勘弁してくれ、とさ」
「そうかね、これはいよいよ困ったのお」
 と、ため息をつく老婆の横へアーナがすっと近づいた。壺を抱えた皺だらけの手を、柔らかそうな掌が包みこむ。
「分かりましたわ、お婆さん。私でよければお手伝いさせていただきます」
「は? なんですと? ま、まさかお引き受けくださるのですか?」
 驚きの表情で見上げる老婆に、微笑みのうなずきが返される。その後、アーナは頼まれるままに民家を回り、惜しげもなく術を振るってやった。話の流れで受付係にされたリルも一緒に、二人はすっかり暗くなるまで忙しい時間を過ごしたのである。
「でも、どうして急に引き受ける事にしたんですか? はじめのうちは断ってたのに」
 リルが送った問いかけに、彼女は小首を傾げてみせた。「なんでそんな事を聞くの?」とでも言いたげだった。
「だってさあ、引き受けたらきっと一軒だけじゃすまなくなるでしょ?」
「ええ、実際そうなりましたよね」
「ね? だから、術師さんがただ遅れてるだけだったら、商売の邪魔になっちゃうじゃない?」
「……あ」
 つまり、火種屋の立場を考えたという事か? アーナのような高位魔術師が、取るに足らない生活魔術師の仕事を?
「うーん、やっぱりアーナさんって変わってますよ。とても、えらい魔術師様とは思えません」
「え、そう? ねえねえ、それって褒めてくれてるんでしょ?」
 リルが向けた皮肉は、またもばっさりと切り捨てられた。やはり、どこかがずれている。あるいは意図的にずらしているのか。悪意があっての事ではなさそうだが、それはそれとして、心のどこかに燻るものがあるのも確かだった。
 延々と火種配りに付き合わされたおかげで、宿に入るのがすっかり遅くなってしまった。巻き込まれた形のリルにとっては、良いとばっちりと言えなくもない。そして、なにより気に入らないのは火をもらった者たちの反応だ。
「まじゅちゅしさん、すごおおい!」
 子どもが無邪気に感激するくらいは分かる。
「さすが見事なお手並みだわ。いつもの火種屋とは比べものになりませんよ」
――はいはい。そうですかそうですか。
「さすが魔術師様が下さった火種だねえ。たちまち薪に燃え移るよ」
――んなわけあるか! 一度点いたらおんなじ火だろ。
「なあなあ、お前ってあの魔術師さんの彼氏? え? 違うの? じゃあ、俺に紹介してくんないかなあ?」
――できるか! 俺だって今日知り合ったばっかりだって。
 多分に幻想とおべっかを含んだ人々の反応は、リルにとってかなり鼻につくものだった。そんないらだちを感じる理由が自身でなんとなく分かる気がして、わしゃわしゃと頭をかき回す。
「ちょっとちょっと! 肉に髪の毛が降ってるよ?」
「あ……、す、すみません」
「ま、大丈夫大丈夫。……ところでさ、旅の目的は実家で久しぶりの親孝行? あ、もしかして独立の報告で凱旋、とか?」
「やめてきたんです」
「ほへ?」
 口にチーズを放りこんだ格好で、アーナはきょとんと彼を見やった。もぐもぐと頬を動かしてから、エールで一気に流し込む。
「やめた? そりゃまたどうして?」 
「別に特別なことは……。嫌になったからじゃ駄目ですか?」
「いや、駄目だなんて言ってないけど」
「僕の話はもういいです。今度はアーナさんの事を教えてください」
 彼女に興味があっての問いではなかった。なんとか矛先を変えないと、きっといつまでも食い下がられる。考えずにいたい事を考えなければならなくなる。それを防ごうとして、とっさに口をついたのだった。
「私はねえ、アルベリーの魔術研究所にいるんだけど……、机に向かってるより結晶探しに出てる方が長いかな。まあ、石集めの商売敵ってところだよ」
「アルベリーってヴァプトン領のアルベリー? へえええ、凄いじゃないですか」
 はるか古のものと言われる遺跡群や、深い洞窟、広大な森の奥深くなどで、長い眠りについていた魔結晶が発見されることがある。それらが内包する術力は決まって現在のものよりはるかに強く、その姿も美しい。
 貴族たちは「石集め」と呼ばれる冒険家たちを雇い、こぞってまだ見ぬ古代魔結晶を探し求めている。それは、優れた魔結晶が地位と権力を象徴する存在でもあるからだった。
 そんななか帝国東部の有力領主、ヴァプトン伯は魔術の研究、開発そのものに注力していることで有名だ。そして、領都アルベリーの魔術研究所はその中核として名を馳せる。
 ヴァプトンを治めるウェイバー家は古の時代に活躍した有力魔術師の血統であり、代々その力を繋ぎ続けてきたと言われている。自尊心を満たすため、自己満足のために石を求める貴族達とは分けて語られる存在だった。
「じゃあ、ルスタインに行くのも石を探しになんですか?」
「あはは。一人で結晶探しは無理だなあ。魔獣や蟲の餌食だよ。時代物の石は大抵『デネルの縄張り』にあるからね」
 このフォルテアは四方を海に囲まれ、北を上方に逆台形をなす大陸だ。リルやアーナが生きるレドナーグ帝国はその東岸に位置する強国だが、南部を支配し二十年前に戦乱を起こしたオウマ王国を始め、合わせて五つの国が海岸沿いに連なっている。
 アーナが『デネルの縄張り』と表現したのは、そんな国々の支配が及ばない大陸中央部の事である。深い森林や険しい山脈の向こうに果てしない砂漠が広がる彼の地は、現在ではどの国家にも属していない。しかしはるか古の時代、そこにはデネルという魔術国家が栄華を極めていたという。
 彼らが用いていた術は現在のものとは比較にならないほど強力で、魔獣や蟲たちも元をたどればデネルによって生み出されたと考えられている。それを裏づけるかのように、大陸中央部における彼らの生息密度はきわめて高く、遺跡や古代魔結晶探索の大きな障害となっている。
「あいつらさあ、ここ何年かで急に増えてきてるんだよね」
 それはこのところ、町の人々の間でもよく話題にされる問題だった。まだ集落が襲われる事態にこそなっていないが、各地で街道を行く旅人や商人、無防備な農民や魔鉱石を掘り出す労働者が犠牲になっているらしい。あの時アーナに救われなければ、リルも被害者の一人になっていただろう。
「表向きはその実態調査って事になってるんだけど」
 そこで一旦言葉を切った、アーナの口元から笑いが消えた。卓上のジョッキへと落とされた視線が、しばし凍りついたように動かなくなる。
「ほんとのところは私用なの。結晶じゃなくて人探しだね」
「人探し?」
「そう……。顔も見たくない奴だけど、どうしても借りを返さないといけないからさ」
 ほどなくリルに戻された視線は、既に元の柔らかさを取り戻していた。エールを一気に飲み干して、彼女は軽やかに席を立つ。
「さあ、早くルスタインに着きたいし、明日は朝一番で出発だあ!」
 酒場を出た二人は、そのまままっすぐ宿へと戻った。順番に湯浴みを楽しんで、それぞれのベッドに潜りこむ。色々あって疲れていたのかもしれない。珍しく、リルはたちまちのうちに眠りに落ちた。

   ■

 心地よい眠りの狭間で、リルは辞めた職場を思い出していた。主に量産品を作る工房なので、高位の魔術師には見向きもされない。だが、粗悪品が少ないと商人たちからは好評を得ていた。
 石造りの作業場は奥に長く、両側の壁に向かって一列ずつ、中央に向かい合わせる形で二列、合わせて四列の長机が伸びている。簡単な木壁で仕切られた作業空間は決して広いものとは言えず、両肘を広げればはみ出るほどだ。
 そんな工房の中央列入り口近くが、リルに割り当てられた仕事場だった。まだ戦力と認められていない見習いや、質の低い石を作る新米が働く場所である。出入り口に近いため、夏はともかく冬が辛い。
 曲がりなりにも三年間の修業を積んだリルは、本来ならそんな所にいてはいけないはずだった。実際、同期入門の者たちはとっくにかなり奥へと自席を移し、ばりばりと売れ線の商品を作り出している。
 仕事は、木製の作業台に魔結晶の原石を置くところから始まる。採掘後に形を整えられただけのそれは、まだなんの術力も有していない。リルたち石作りによる術封入を経て、いよいよ魔結晶に生まれ変わるのだ。
 石の上に両掌をかざし、精神を集中して術力を練り上げていく。その錬成が充分に進んだところで、いよいよ封入を開始する。石の質を感じ取り、その程度を見極めながら、ゆっくりと術力を積み重ねていく。
 と、やがて、透き通った石の内部に炎のごとき光が宿り始める。暗褐色から始まり、やがて赤、そして橙、黄色と注入量に応じて色と明るさが変化していく。この工房で扱うような量産品ではこのあたりまでが限界だ。しかし高位魔術師が用いる魔結晶は青炎を灯すのが一般的で、中には白や金の輝きを宿らせるものすらあるという。
「慎重に……、慎重に」
 ようやく灯った褐色のゆらぎを、リルは慎重に育もうと試みる。炎がゆらゆらと揺れはじめ、掌がじんと熱くなる。ところが――
 ぴっ! ぴりぴりぴりっ!
 耳障りな悲鳴をあげて石の表面に亀裂が走った。
「し、しまった!」
 あわてて術力を抑えこむが、もうこうなってしまっては間に合わない。
――ぱあんっ!
 かん高い破裂音を残して石は粉々に砕け散った。その音を聞きつけて、すぐさま監視役の先輩がやって来る。
「またお前かこの野郎! 今日だけで何個目だと思ってる!」
「す、すみません!」
 しゃがれた叫びを上げながら、リルはベッドから跳ね起きた。そして、誰もいない薄暗がりに向かって何度も何度も頭を垂れる。
「気をつけます。すみません。すみません」
 無論、返事があろうはずもない。悪夢に意識を捕らわれたまま、茫然と壁に吊るされたランプを見やる。
「リル君、どうしたの? 悪い夢でも見たのかな?」
 隣のベッドからの呼びかけに、彼はようやく我に返った。
「え、ええ。ちょっと……」
 そう、本当に嫌な夢だ。思い出したくもない事だ。あの工房での三年間、何度ああやって怒られた事だろう。
「大丈夫だよ、夢はもう終わったんだから。私もいるんだし安心して。……ね?」
「こ、子ども扱いしないで下さい! 僕は一人だって大丈夫です」
 そう向きになる彼を、アーナはただ柔らかな微笑みを浮かべて見つめていた。





その2に進む   作品ページに戻る



posted by omune at 00:00| 東京 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 創作、制作 | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
コチラをクリックしてください

この記事へのトラックバック