2001年01月19日

『 死にたがりのリル 』2(文字拡大版)



 二人の旅は翌日も晴天に恵まれた。暖かな陽ざしと穏やかな風がなんとも肌に心地良い。ここ、フォルテア大陸東北部は四季がはっきりした土地である。防寒具が不要になるこの時期が、旅をするには最適だろう。
 空には綿雲がぷかぷか浮かび、木々の間に波穏やかな海がのぞく。草原を行く街道からの風景は、まるで絵画のように美しい。だが、それをぼんやりと見やるリルの心は、相も変わらず重かった。
「うーん。石が割れちゃうって事は、術力制御が苦手なのかもしれないね」
 ちぎった草の穂を揺らしつつ、前を行くアーナが振り返る。
「でもさあ、辞めちゃうなんてもったいないよ。そこさえ乗り越えられれば、一気に進歩するかもしれないじゃない?」
「……無理ですよ。師匠や先輩たちからは術質のせいだろうって言われました」
 これだけ経験を積んでなお石が割れるのには、技術以外にも何か理由があるのだろう。きっと、粗悪な術力を拒絶されているに違いない。それがリルの三年間に対する評定だった。
「血筋が悪いんだそうです」
 自分なりに頑張ってきたつもりだった。しかし「たぶん才能がないんだろう」、そう工房長に言い捨てられた時、心の中で何かが切れた。
 精石師も魔術師も、その能力には血統が色濃く反映される。だから強い資質を持つ者は己と同等、あるいはより良質な血統の者との結びつきを求める。才能の差は技量が上がれば上がるほど大きな影響を及ぼすので、高位の魔術師たちは家系を非常に重要視するのだ。
 だが、良質な血を受け継いだはずの子が、必ず期待されたような成長を遂げるとは限らない。逆もまた然りで、稀ではあるものの術とは無縁の両親を持つ若者が、突然に高い能力を発現させる事もある。
「うーん。血の影響は三年くらいじゃはっきりしないと思うけどなあ」
「自分でもそう思うようにしてたんですけど……、もう待てないって言われました」
 リルの返答は段々とぶっきらぼうになりつつあった。歩みが自然と遅くなり、視線が足元に落ちていく。
――うっとおしいよ。
 彼女は彼女なりに励ましてくれているのだろう。しかし、リルは正直なところ不愉快だった。アルベリーの魔術研究所に属しているくらいだから、アーナの育ってきた環境は想像するに難くない。そんな恵まれた高位魔術師に、自分の何が分かるというのか。
「若い頃の父はそこそこ有名だったらしいですけど、きっと僕で血脈が切れちゃったんです」
 そう。生まれという点でいうのなら、自分は同僚たちを上回る資質を有していてもおかしくなかった。そして、その事実が焦りと不安を日増しに大きく膨らませていった。
 母と結ばれる前、まだ青年だった父はレッセルに暮らしていた。レッセルは帝国北西端に位置するラレーの領都であり、魔術研究において帝都やアルベリーと並び称される街である。
 当時の父は将来を嘱望される精石師だったらしい。並みの魔術師には扱えないような、優れた魔結晶を次々と生み出していたそうだ。
「へええ。リル君のお父様、すごい人だったんだねえ」
「そうらしいです。僕が生まれる前の話ですから、どこまで本当か分かりませんけど」
 ところがある時、父はそんな地位や名誉をあっさりと投げ出した。レッセルの住まいを早々に引き払うと、ルスタイン近くの小さな町に一人で工房を開いたらしい。それが現在の実家で、父はそこで生活魔術師の母と結ばれ、そして間もなく一人息子の自分が生まれた。
「ねえ、お父さんはむかし、えらいせいせきしだったんでしょう? どうしてやめちゃったりしたの?」
 幼い頃、そう父に尋ねた事があった。時おり連れて行ってくれた町はずれの草原、そこの切り株に腰を並べてだったと思う。
「んー? 別に昔でも、辞めたわけでもないんだけどなあ」
 こちらを笑顔で見下ろして、父はぽりぽりと頭をかいた。
「あのな、リル。『えらい』連中が作る石とお父さんが作る石に、本当は違いなんかないはずなんだよ」
「へええ。そうなの?」
「うん。それならさ、お父さんは一生懸命がんばっている人のために石を作りたいと思ったんだ。精石術も魔術も元々はみんなのための、人を笑顔にするためのものなんだから」
「んー。……よくわかんない」
「そうだよな、リルにはまだ難しいよな。やっぱりお父さんが『えらい』方が良かったか?」
「うん……。でも、今のお父さんも僕は大好き」
「ほんとにほんとか? いやあ嬉しいなあ。リルはとっても親孝行だな」
 あの頃を思い起こすと、父は本当に家族を大切にしてくれて、家にはいつも笑顔があふれていた。仕事の方も順調で、近隣の生活魔術師たちが毎日のように訪れてきたものだ。そのおかげで決して贅沢ではなかったものの、生活に不自由は感じなかった。しかし、そんな幸福な生活は、ある日突然に終わりを告げた。
「昔の知り合いに頼まれたらしいんです。一緒にレッセルに来てほしいって」
「レッセル? お父様が若い頃にいたんだっけ?」
「ええ」
 もう九年も前になる。エリオドアと名乗る高名な精石師が、わざわざ田舎町に住む父を訪ねてきた。それが全ての始まりだった。父とはレッセルでしのぎを削り合った関係であり、同時に親友でもあるらしい。玄関先で嬉しそうに抱き合う二人の姿が、とても印象的だった。
「後で母に聞いたんですけど、僕が寝た後にその人が頼み込んだそうなんです。とんでもない原石がレッセルにあって、それを父に任せたいって」
「へええ、それは興味ある話だねえ。いったい、どんな代物だったんだろう?」
「さあ。僕にはなんとも」
 父はくりかえし断った。が、ついには土下座までされるに至り、渋々ながら折れたのだそうだ。
「いってらっしゃいお父さん。……気をつけてね」
「すぐに戻るから心配ないよ。留守の間、お母さんを頼んだぞ」
「任せといてよ。その代わり、おみやげたっぷりよろしくね」
「こりゃあ大変だ。しっかり気合い入れて選ばなくっちゃな」
 力強く手を振って去っていった父は、しかしそれきり帰ってこなかった。当初の予定を過ぎても戻らぬ父を心配しはじめた矢先、レッセルから一通の手紙が届いたのである。そして、そこに記された内容が幸せな生活を一変させた。なんと、父が盗みの疑いで拘束されたというのである。計り知れないほどの価値がある古代魔鉱石、それを我が物にしようとした。真偽のほどは不明だが、少なくともそうした疑いをかけられている、と。
「え? そ、そんな……」
 思いもしなかったのだろう顛末に、アーナがふらりと歩みを止めた。振り向けられた瞳には、どことなく苦いものが含まれている。
「なんだか、ごめんね。まさか、そういう話になるとは思ってなくて」
「いえ、別にいいですよ。僕が勝手にしゃべってるだけですから」
 暗い笑みを返しつつ、リルは路傍の岩に腰を下ろした。ここまで聞いた以上は、是が非でも最後までお付き合い願いたい。そんな意地悪な欲求を、彼は抑えられなくなっていた。
「このあたりで少し休みましょうか」
「あ、うん。そうだね。そう言われれば、喉もちょっと乾いてきたし」
 背嚢の水袋を外しつつ、アーナも気まずげな表情を隣に並べる。
 息子を近所の知人に預け、母はあわただしくレッセルへと出発した。しかし、時すでに遅し。彼女が到着する数日前に、法により父の命は奪われてしまっていた。
 親友エリオドアによれば、父は最期まで自らの潔白を訴え続けていたらしい。しかし、数々の不利な証言や証拠を覆すには至らなかった。魔術研究所の重鎮という立場をもってしても、庇いきることができなかった。エリオドアは母にそう詫びたそうだ。
「そう……。大変だったんだね」
「ええ。僕はともかく母が……」
 遺体はおろか骨にすら再会できず、彼女はいくつかの形見を家に持ち帰ってくる事しかできなかった。
「戻ってきた時、魂が抜けたみたいになっていて」
 それでも母は強かった。遺体なき弔いをすませ落ち着くと、すぐに生活魔術師としての仕事を再開。酒場の仕事もかけもちし、懸命に一人で自分を育ててくれた。
「周りの人たちもいろいろ良くしてくれました。けど、なかには良く思わない連中もいたみたいで」
 噂はどこからかやって来て、勝手に姿を変えていく。一度、語り手を介してしまえば、それはもはや真実ではあり得ない。
 そう、確かに町の人々は残された母と子に優しかった。しかし、心無いささやきが聞こえてくるのも別に珍しい事ではなかった。
「前からおかしいと思ってたんだ。じゃなきゃ、あんな良い石ばかりこしらえられるわけがない」
「そらそうさ。きっと盗みでもした石を転売してたんだろ」
「あれなんじゃない? あの時もレッセルから逃げてここに越してきたんじゃない?」
 ご多分にもれず、やがて人々の興味は薄れていった。が、深く刻まれた心の傷はなおもずきずきと痛みつづけた。それを癒すためには、そして父の実力を証明するためには、自ら精石師として成功する他ないと考えるようになった。そして十六歳になった時、母に町を出たいと打ち明けた。
「お母様はなんて?」
「はじめは大反対されたんです。なにか別の仕事を探しなさいって」
「……そうかあ。お母様の気持ち、なんだか分かる気がするなあ」
「ですよね。けど、僕が頑固なの知ってるから、最後は折れてくれました」
 この町に他の工房はないし、レッセルでは父の出来事が蒸し返される可能性もあるだろう。だから、街道を逆に進んだ先にある、リベラの街に行こうと思った。そこには魔結晶の原石を掘り出す鉱山があり、その関係で精石工房も多いと聞く。幸いに昔から懇意にしてくれている石商人が、取引先を紹介すると言ってくれた。
「リル君はお父様の無実を晴らしたいんだ?」
「いえ、今さらそれは無理ですよ。でも、僕が一人前になれば、父がちゃんと良い石を作ってた証明になると思って」
 幼い頃から見ていたのだから、自分は誰よりも父の腕前を知っている。だからこそ血筋は確かなはずだった。うまくすれば、たちまち周囲を追い抜いて免許皆伝を許されるかもしれない。そうぼんやりと、生温く見通しを立てていた。ところが現実はどうだ。
「できれば独立して父の工房を継ぎたかったんですけど……、どうも身のほど知らずだったみたいです」
 根拠のない自信は三年で完全に崩壊し、実家へと逃げ帰る途中で、出会って数日の魔術師につまらぬ身の上話を聞かせている。
「要は生まれ損ないって事ですよ、きっと」
 と、そんな自虐が終わらぬうちにアーナの微笑みが掻き消えた。
「なんてこと言うの、リル君!」
 不意に両肩をつかまれて、リルの背中がぴーんと伸びる。
「亡くなったお父様のためにも、育ててくれたお母様のためにもそんな事言っちゃだめじゃない! 親不孝にもほどがあるよ?」
「……!」
 リルの顔はみるみる真っ赤に染まっていった。アーナの腕を払いのけ、腰を勢いよく跳ね上げる。
「アーナさんにいったい何がわかるんですか?」
「え?」
「言われなくても分かってますよ。きっと良い家柄に生まれて、すごい才能に恵まれて、そして優秀な成績で魔術学校を出て! それで研究所に入ったんでしょう? そんな人に僕の気持ちが分かるんですか!」
「あ、ちょ、ちょっと待って!」
 猛然と駆けだしたリルをアーナがあわてて追いかける。距離を広げたり縮めたりしながら、二人の追いかけっこはしばらく続いた。が、いくら過ごしやすい季節といっても、荒れ道の全力疾走を長く続けられるわけはない。
「はひい……。ぜいぜい、げほっ! ごほごほっ!」
 路傍の大木に手をついたリルを、激しい咳こみが襲っていた。軽い吐き気まで催して、口元からだらしなくよだれが落ちる。と、そんな彼の背中を柔らかい掌が静かにさすった。
「はあはあはあ、リル君……。君の荷物……、背嚢おいてっちゃ駄目だって」
「……あ」
 ゆらりと持ち上げた視線の先には、アーナの苦しげな笑顔があった。
「リル君は俊足……、だねえ。走っても走っても……、追いつくだけで、せ、精一杯だもん。ほら、とにかくこれを……、受け取って」
「す、すみません」
 旅慣れているだろうアーナにとっても、背嚢二つを担いでの疾走はかなりきつかったに違いない。紅潮した顔に汗がきらきらと光っている。
「うーん。どこかに村があったら……、水浴びさせて、もらいたいなあ」
 息を切らせつつそれを拭ったアーナはやがて、突然に深々と頭を下げた。
「ごめんなさい!」
「え、そ、そんな。あの……、頭を上げてください」
 すっかり狼狽してのうながしに、アーナは小さくなって応えてみせた。いつもはまっすぐ見据えてくる瞳が、今は居心地悪そうにあちらこちらへ巡らされている。
「あのね……。私って、子どもの頃……、なんていうのかな? ほら、一家団欒っていうの? そういうのにあんまり縁がなかったから。だから、つい……、本当にごめんね」
「い、いえ。僕の方こそかっとなっちゃってすみません。アーナさんがせっかく親身になってくれたのに」
 アーナは何も言わなかった。ただ、ようやくリルに戻ってきた視線は、彼がここ何年も味わっていなかった温かな感情に満ちていた。そして同時に、やはり久しく忘れていた恥ずかしさがリルの心を埋めつくす。
「そ、そろそろ行きましょうか? 汗もかいたし、できれば町に泊まりたいですもんね」
「気をつかってくれるんだ? リル君って優しい~」
「……怒りますよ」
 ぷいっと背を向けて歩き始めたリルに、くすりと笑ってアーナが続く。
「やだなあ、旦那。ただの冗談じゃないですかあ」
「知りません!」
 木枝から見下ろしていた青鳥が、待ちわびた静寂にぴりりと鳴いた。そして肩を並べる二人を追い越して、一息に大空へ舞い上がって行った。

 それからの三日間、旅はおおむね平穏だった。中日の夕刻に魔獣から威嚇されはしたものの、出会った時と同様にアーナの警告で素直に退散してくれた。
 あのやり取りをきっかけに、二人の会話はいくらか弾むようになった。依然アーナの口数が圧倒的に多いのだが、それでもリルに当初のような苛つきはなかった。慣れたのかもしれないし、ちょうど良い距離感が見つかったのかもしれない。
「見えてきましたね、アーナさん」
「うん! 何度か来たことあるけど、やっぱりアルベリーより大きいなあ」
 長い長い下り坂の向こうに広大な海が広がり、波のきらめきを背に高い街壁で囲まれた港町が広がっている。それがローデアンの領都、ルスタインの威容だった。
「うわあ、うわあ、賑やかだねえ。こういうの久しぶりでわくわくするねえ」
 二人が街門をくぐったのは午後も遅くになってから。大きな夕陽が、家々の向こうに沈みはじめる頃の事だった。
「さあ、今日で二人旅もおしまいだからね。なにかご馳走食べようか」
「いいですね。ルスタインは魚がとても美味しいですよ」
「よおっし! じゃあ魚にけってーい! もちろん勘定は任せときー」
 アーナの男前な気づかいをリルは素直に受け入れた。取り急ぎ宿を抑えた彼らはそれから街に繰り出して、新鮮な魚ととりとめのない会話を心行くまで楽しんだ。

 リルたちが部屋を取ったのは『潮騒亭』。港の近くに位置し、交易所に隣接する三階建ての大きな宿屋だ。聞けば、アーナはここに泊まる事を事前に決めていたらしい。あてがわれた部屋は、周囲の建物を見下ろせる最上階の角部屋だった。
「あー、美味しかったあ。やっぱり港町の魚は最高だねえ」
 窓から街を見回してアーナが満足げな伸びをする。吹き込んでくる春風に、亜麻色の髪が揺れていた。
「明日は街の出口まで見送りに行くからね。そこでゆっくり別れを惜しもう」
 ベッドに腰を下ろしたリルは、そんな提案に返す言葉が見つからなかった。思いもよらず、明日の別れをひどく寂しく感じるのだ。
 出会って数日しか経っていないこの魔術師の笑顔と言葉が、どれほど気持ちを楽にしてくれていたのか。別れが迫った今になって、リルはあらためて思い知っていた。一人ぼっちで行く明日からの道程は実家が目前に迫っている分、一歩一歩をさぞ重く感じるに違いない。
「あ、あの、アーナさん?」
 彼女は何も答えない。ただ窓枠に両手をついて、眼下を見つめているのみだ。
「僕も人探し手伝いましょうか? 二、三日だったらなんとかなると思うんです」
 アーナを思っての申し出ではなかった。三年ぶりの帰郷を目前に、どうにも気が重くて仕方ないのだ。こんな情けない息子でも母は責めたりしないだろう。だが、それでも。いや、だからこそかもしれなかった。ところが――
「手伝ってもらわなくても大丈夫みたい」
 ほんのわずかな間にアーナの雰囲気は一変していた。これまで聞かされた事がない、低く無抑揚な声色だ。ひょっとして、後ろ向きな気持ちを見透かされてしまったか。
「あ、あはは。そうですよね、僕なんかじゃなんの役にも立ちませんよね」
 とっさのごまかしが終わらぬうちに、彼女はくるりと振り向いた。その表情を二度見して、リルは思わず腰を浮かせる。
「……アーナ、さん?」
 先刻までエールを呷っていたというのに、彼女の顔には血の気がなかった。切羽詰まった形相は、まるで面を被ったかのように動かない。
「出かけてくるわ」
「こんな時間に? いったい何処へ行くんですか?」
 至極当然の質問をアーナは意にも介さない。ほんの一瞬をも惜しむ様子で、そそくさと武装を整える。
「それじゃ行くから。朝までに戻らなかったら気にしないで出発してね!」
 そう言い残して飛びだす彼女をリルは茫然と見送るしかなかった。が、ほどなくはっと息を呑み、開け放しの窓に走り寄る。彼女の背嚢はベッドの脇に置かれたままだ。先に出発しろと言われても、それを放っていくわけにはいかないだろう。
「アーナさん、ちょっと待って!」
 去っていく彼女の隣には見知らぬ白髪の男がいた。忙しい歩みを止めぬまま、二人は何事か言葉を交わしあっている。
「に、も、つ! 荷物置いていっちゃうんですかあ?」
 精一杯の大声も、彼女には聞こえていないようだった。そして、まるで闇に吸い込まれていくかのように、二人は角の向こうへ姿を消した。

     ■

「ずいぶん早かったね」
 そんなアーナの声に、初老の男が小さくうなずく。
「奴は街を出たり入ったりしているし、数日中には船で何処かに行っちまいそうなんだ。居場所をつかめているうちの方が良さそうだからな」
 男は名をゲリックといい、帝国中を巡って魔結晶の取引を行う商人だ。そしてそのかたわらで、アルベリー魔術研究所に遺跡や古代魔結晶の情報、あるいは各地の研究所や領主たちの動きを知らせる役目を請け負っている。
 彼はつい昨年まで剣士として発掘隊に在籍し、アーナとは戦友とでもいうべき関係だ。そのよしみと情報網を頼って、ルスタインでの先行調査を依頼していたのである。潮騒亭への宿泊は、主や従業員をよく知るこの男からの指示だった。
「さすが有能。こっちを本職にした方が良いんじゃないの?」
「馬鹿を言うな。せっかく商売がうまくいってるってのに、そうそう危ない橋を渡れるかよ」
「そうだよね。無理を聞いてくれて本当に感謝してる。ありがとう、ゲリック」
 歩みを止めぬまま見上げるアーナに、彼は「ふっ」と小さく笑ってみせた。
「まあ、他ならぬお前の頼みだからな。ちなみにその女はローリアと名乗っている。偽名かもしれんし、そうでないかもしれん。顔を知ってりゃ一発なんだが、俺は例の事件の補充人員だったからなあ」
「大丈夫……。それは自分で確かめる」
「それと今のうちに確認するが、俺は案内するまでで良いんだよな?」
「もちろんだよ。そこから先はあいつと私の問題だから」

 四年前のあの日、山嵐亭に宿泊した発掘隊は、異様な高揚感のなかにあった。なにしろ難攻不落とされていた古代遺跡、エガオガの最深部到達に成功し、そればかりか握りこぶし二つ分ほどもある見事な古代魔結晶を発見したのである。それはアルベリー魔術研究所による遺跡探索史上、最大成果になるはずの代物だった。
 デネルの縄張りからも無事に脱出し、多少の油断があったのは否定できない。その夜は貸し切り状態にした宿で、派手な宴会が催された。
 とはいえ気楽に盛り上がれる研究者や役人たちと違い、アーナたち実戦部隊の半数には夜通しの見張りが待っている。呑めない事に多少の恨めしさを感じながらも、任務を優先させたのは言うまでもない。
 見張りは三交代制になっていた。まずは髭面の剣士ゼハスと若手魔術師のカレン、次が新人剣士のタドリオと筆頭魔術師のラヴェッサ、最後がアーナと夫の魔術剣士ルフレイの順である。
「……ん」
 女性部屋のベッドでアーナが目覚めた時、まだ異変の気配は微塵もなかった。絞られたランプの光に、部屋は薄暗く照らされている。見渡してみると、ラヴェッサのベッドが空いていた。時が来れば起こしてくれるはずだから、予定よりも早く目覚めてしまったに違いない。
「やっぱり興奮してるのかなあ。なんたって大発見中の大発見だもんね」
 交代まで眠り直そうと毛布の中に潜りこむ。しかしすっかり目が冴えて、それはもはや無理そうだった。
「うーん、全然だめだあ」
 しばらく寝返りを繰り返した末、アーナはついに諦めた。仲間を起こさないようにそっと武装を整えて、廊下へつながる扉に向かう。
「少し早いけど交代しちゃおう。そうすればラヴェッサも休めるし」
 遺跡で大活躍した彼女には、きっとかなりの疲労が蓄積しているに違いない。少しでも長く眠ってもらった方が隊のためにもなるだろう。そんなことを思いながら、アーナはランタンをかざして廊下を歩く。古代魔結晶が仮置きされた部屋は、突き当りの階段を上った先だ。
「ラヴェッサ、少し早いけど交代……。あれ?」
 ほどなく到着した持ち場、守るべき扉の前に、しかしラヴェッサはいなかった。それどころか、共にいるはずのタドリオも姿が見えない。扉は開きっぱなしになっており、その向こうで人影がゆらゆらと揺れている。
「……血の匂い!」
 なにしろ隊最高の魔術師が守っているのだ。そう簡単に族が侵入できるはずはない。しかし現実に彼らの姿はなく、死を予感させる臭気が漂ってきている。灯りを床に置き、腰袋からひときわ大粒の魔結晶を取り出して、アーナは慎重に部屋の中へと歩み入った。
「え? ええっ?」
 刹那、思いもしなかった光景に彼女は言葉を失った。発掘物を収めた木箱が並んだ奥で、タドリオが血だまりに突っ伏している。そして大切にしまわれていた古代魔結晶を手に、ラヴェッサが今まで見せた事のない冷たい笑みを向けていた。
「意外。まさか天然ボケのあんたに見つかるとはね」
「な、なにこれ? ラヴェッサ……、これっていったい」
「うふふ。してあげるって誘ったら、もう隙だらけもいいとこよ。あんまり可愛くってぞくそくしちゃった」
 長髪を掻き上げたラヴェッサの黒瞳に、血の池がぼんやりと映り込む。
「そ、それじゃ、あなたが? まさか……、裏切るつもりなの?」
「まさかもなにも、私はそのために五年間も我慢した。薄気味悪い仲良しごっこからやっと卒業できるってわけ」
「そんな……。『我ら共に死に共に生きる』ってみんなで誓い合ったじゃない」
「ああ、入隊式の時でしょう? だって、上がそうしろって言うからさあ」
「な、なんですってえ?」
 血なまぐさい仕事ではあったが、発掘隊での五年間はアーナにとってかけがえのないものだった。夫のルフレイを始め多くの素晴らしい仲間たちと出会い、一緒に時を過ごしてきた。年上ながら同期入隊のラヴェッサも無論その一人であり、術の手ほどきを受けたり恋愛相談をもちかけたりと、まるで実の姉のように慕っていた。
「すっと……、ずっと私たちをだましてたのね!」
 素早くかざした魔結晶にアーナは二本の指を滑らせた。
「あら、あたしとやる気? でも、あんたごときが勝てるかしらね?」
「う、うるさい!」
 隊の筆頭魔術師であるラヴェッサは、古代魔術の流れを引く強力な技を使う。それはアーナも同様だったが、実力としては相手が上だ。しかも、炎上の恐れがあるこの場所では使える術が限られる。
――光壁で行く!
 主に防御に用いる光の壁、それで目をくらましてから得意の氷槍で攻撃をしかけるつもりだった。簡単に仕留められるとは思えないが、槍が床なり壁なりを突き破ればきっと仲間たちがかけつけてくる。そうなれば多勢に無勢、充分に勝機があるだろう。
「行くよ、ラヴェッサ!」
 石上に浮かべた指先に向かって、魔結晶から無数の光粒が流れ出てくる。それがたちまち凝縮し、いよいよ壁となって広がろうとした刹那だった。
――ぐしゃっ!
 不意の強烈な衝撃が後頭部を襲った。たちまち視界が激しく歪み、ゆっくり意識が遠のいていく。
「……え?」
 散りゆく光粒に包まれながらアーナは力なく膝をついた。掌から落ちた魔結晶が、床にごろりと転がっていく。それをぼんやりと見やりつつ、彼女は床に突っ伏していった。

 その夜、山嵐亭は数多くの発掘品とともに燃え尽くし、多数の隊員が命を落とした。助かったのは数人の学者、役人とアーナ、ゼハス、カレン、たったそれだけ。アーナの夫である魔術剣士ルフレイも、以来消息がつかめていない。
「ルフレイ――」
 はじめのうち、アーナはどうしても現実を受け入れられなかった。焼け跡から見つかった遺体は一様に焼き尽くされており、個人の判別は困難だった。ならば、もしかして逃げのびた可能性もあるではないか。そう思いこもうと努力した。しかし、それなら――
「死ぬまでも、死んでからも一緒だよ」
 そう言って微笑んでくれた彼は、愛して止まない彼は、どうして戻って来てくれないのか。
 日が経つにつれ、希望を現実が押しつぶしていく。やがて、全てを受け入れなければならなくなって、アーナは事件以来初めて泣いた。何日も何日も泣き続けた。そして痩せこけ、涙も枯れ果ててしまった時、その胸に強い想いが噴き上がってきた。
――許さない。あいつだけは許せない!
 彼女の証言によってラヴェッサは手配犯となっていた。が、それもヴァプトン領内に限っての話である。消えた古代魔結晶と共にその行方は杳として知れない。また、あの出来事そのものもよくある強奪事件の一つとして、人々の記憶の底に埋もれていきつつあった。
 しかし、それでもアーナは諦めなかった。仕事の合間を見つけては自らあちこちに足を運び、あるいはこれまで築いてきた人脈を頼り、八方手を尽くしてラヴェッサを探し続けた。そして、最近になってようやくこんな噂を耳にすることができた。
「近年、古代魔結晶の強奪や盗難事件が急増し、また闇市場での取引も非常に活発になっている。そしてその所々に、とある女性魔術師の影が見え隠れしている」
 長い黒髪と妖しげな黒瞳が特徴的なその女は、古代魔術の流れをくむ強力な技を駆使するらしい。次第に同様の情報が増えていくにつれ、アーナはいてもたってもいられなくなった。
――ひょっとして!
 整理してみると、女の目撃談は帝国北部に集中している。それならば港湾都市として名を馳せ、人や物の流れの要所になっているルスタインを捜索してみるべきだろう。しかし研究所に働きかけても周囲や両親に相談しても、その反応は決まって彼女を失望させるものだった。
――いいよ。それなら独りきりでも確かめる。
 そうしてやって来たこの街で、彼女はついに想いを果たす機会を得ようとしていた。
「もしもあいつだったら許さない。今度は絶対に逃がさないから」
 ゲリックの道案内に従いながら、彼女はそんな小さな呟きを何度も何度も繰り返していた。

     ■

「この先は港、だよね?」
「ああ、奴の根城はこの奥だ」
 闇の向こうから波音が響き、潮の香りが鼻をつく。アーナが導かれたのは桟橋にほど近い、倉庫街の一角だった。
 帝国有数の港湾都市だけあって左右には漆喰で塗り固められた壁がびっしりと、数えきれないほど連なっている。すべての通りはしっかりと舗装されており、昼間は商人や船乗り、荷車でごった返すに違いなかった。
 さすがにこの時間ともなれば、人の姿はほとんど見えない。それでも所々で扉を開き、護衛付きで仕事を続ける倉庫がある。港湾を軸に発展した、商業都市の面目躍如と言えるだろう。
「さあ、俺の仕事はここまでだ」 
 いくつかの交差点を折れ、脇道を延々と進んだ先でゲリックは彼女を制止した。唇に立てられた人差し指が、続いて丁字の左方を指し示す。
「見てみな。お仕事中の倉庫があるだろ」
 そっと様子をうかがうと、そこには岸壁から突き出すように大きな倉庫が建ち並んでいた。言われた通り一棟の扉が開いていて、室内の明かりが街路に長く伸びている。そしてそれを頼りに、数人の男が木箱や樽を次々と二台の荷車に載せていた。
「……? こんな時間に荷出ししてるの?」
 恰好からすると、彼らは港で働く荷役人だろう。周囲には帯剣した男たちが五人、見張り役として立っている。粗末な武具や身なりからして、傭兵崩れの雇われ衛兵といったところか。
「中身はたぶん発掘品や魔結晶だ。このところ毎晩、ああやって桟橋の大型船に積み込んでる。奴はどうもそれを仕切っているらしい」
「ありがとう。お礼は研究所でカレンから受け取って。たっぷり預けてあるからね」
 色めき立った彼女の声に、ゲリックはしばし答えを返さなかった。
「ん? どうかした?」
「なあ、アーナ。お前の気持ちは痛いほどわかる。旦那とは相当に仲が良かったらしいしな」
「どういう意味? いったい何が言いたいの?」
「ここまで案内しておいてなんだが、事件からもう四年も経ったんだ。そろそろ忘れた方が良いんじゃないか?」
「い、嫌だよ! 私は絶対あきらめないから!」
「しっ! 声が大きい」
 むきになるアーナの眼前に、広げた掌が突き出された。
「強制はしない。だが扉の上をよく見てみろ。知ってる紋章があるだろう?」
「え? あ……、あれって」
 それはまさしく、ラレーを治めているバーソン家のものだった。バーソンはヴァプトンのウェイバー家と同じく、古代魔術師の血を引く家系とされている。帝国北西端という立地から国境を守る立場にもあり、オウマ王国に端を発する戦乱以来、ラレーは剣にも魔術にも強化の施策を続けてきた。
「奴らが荷物を運び込んでいるのもラレーの船だ」
「なるほど……、確かにきな臭い話だね」
「どうだ? 考え直すつもりはないか?」
「ないわ。だって、身元が割れる物は一切持って来ていないもの。ヴァプトンにも家にも迷惑はかからない」
「いや、そういう事を言っているんじゃないんだが」
「心配してくれてありがとう。でも、ね? お願いだから」
「変わってないな、お前は。その頑固さには呆れるよ。……生きていたらまた会おう」
 苦笑を残したゲリックは、小走りに闇の中へと去っていった。
「さて、と。どうやって中に入ろうか」
 荷出しの様子をうかがいながら、アーナはしばし思案を巡らせる。しかし、なかなかこれという手段が浮かばなかった。ローリアなる魔術師が本当に仇敵なのか。それを確認するまでは、できれば事を荒立てたくない。
「うーん、うーん……」
 その間にも作業は進み、間もなく満載となった荷車を男たちが動かし始めた。それぞれ二人の護衛を付けた荷車は、がらがらと車輪音を響かせながら闇の向こうに消えていく。そうして見張りが一人だけ、扉の脇に残された。桟橋まで向かい、それから荷物を船に積み込む。それを考えれば、去った男たちが戻るにはかなりの時がかかるだろう。
――やった!
 千載一遇の好機に、いくつもの侵入案がアーナの頭を駆け巡った。しかし、それらを一つ一つ吟味している余裕などない。
「ルフレイ、私を守って」
 アーナは魔結晶を取り出して、胸当ての内側へ押し込んだ。普段使いの物とは違う、取って置きとでもいうべき石である。この魔結晶なら火、水、風、土からなる四元素の枠を超えた、古代魔術系の技を発動可能だ。
「落ち着いて、落ち着いて……」
 大きな深呼吸を繰り返してから、アーナは暗がりを後にした。敢えて大げさによろめきながら、のろのろとお目当ての倉庫に向かう。
「う、ううう……」
「んー? どうした姉ちゃん。大丈夫か?」
 やがてしゃがみこんでしまったアーナに、見張りの男が近づいてきた。
「は、はい。なんとか」
 膝に手をつく演技を仕込みつつ、彼女はゆっくりと立ち上がった。そして男の眼前へふらつきながら歩みよる。
「倉庫の夜番帰りなんですけど、歩いてたら急に気分が悪くなって」
 そんな言葉終わりに重ねつつ、アーナは男の胸元目指してもたれかかった。
「お、おいおい。しっかりしろって」
「ごめん、なさい。でも、ちょっと立てそうに、ないんです」
「うへえ。こりゃあ参ったなあ」
 亜麻色の髪越しに見上げられ、男はだらしなく口元をゆるませた。そしてアーナの脇に手を回し、扉口の椅子に座らせる。
「しばらくそこで休んでな。後で仲間が戻ってきたら、家まで送ってやるからよ」
「……」
「おい、どうした? 気でも失っちまったのか?」
 うなだれたおとがいを男がそっと持ち上げる。その刹那だった。アーナが掌を振り上げて、男の首に近づけたのは。
――ぱんっ!
 そんな乾いた鳴りと同時に、閃光が海老反りの影を映しだす。小さな雷球を押し当てられた男はひくひくと痙攣し、ほどなく仰向けにひっくり返った。
「ごねんね。でも、朝までには動けるようになるはずだから」
 白目をむいた男に呼びかけながら、アーナは周囲の様子をうかがった。幸いにも誰かに気づかれた気配はない。だが、男をこのままにしておけば発覚が早まってしまうだろう。
「うひい。お、重いねこれは」
 両足を抱える様にして、ぐったりした男を倉庫へと引きずり入れる。壁かけランプで照らされた室内は、見た目以上に広そうだった。木樽が雑然と並べられ、あちこちに木箱や麻袋が積み上げられている。仕切りの壁もいくつかあって視線は奥まで通らない。こっそり目的を果たすためには、都合の良さそうな環境だった。
「はあはあ。こ、これで良し、と」
 木箱と壁の狭間に男を隠し、アーナは額の汗をぬぐった。筋力においては人並みの彼女にとってかなり堪える仕事だったが、残念ながらのんびり休んでいる暇はない。与えられた時は、桟橋から男たちが戻ってくるまでの間だけなのだ。
「それじゃ、かくれんぼを始めますか。……いや、終わらせますか、かな」
 木箱の影から木箱の影へ、仕切り壁に張り付き木樽の間にしゃがみ込み、アーナは倉庫の奥へと進んでいった。が、いくら進んでも女魔術師どころか、人っ子一人現れない。
――本当にいるのかしら?
 そんな疑念が徐々に大きくなっていく。しかし、あのゲリックがいい加減な情報を流すとは思えなかった。それに――
「今さら後には戻れない。とにかくしらみつぶしに調べなきゃ」
 焦りと闘いながら一歩一歩進んだ彼女は、やがて倉庫の最奥部へ到達した。その眼前には三枚の扉と鎧窓が互い違いに、等間隔で並んでいる。
「……ここから行くとしましょうか」
 ますは右の扉をそっと細く引き開ける。薄明りに照らされた室内には粗末なベッドが並び、数人の男が大きないびきを響かせていた。かたわらに剣が置かれているから、おそらく見張りの詰所だろう。
「危ない危ない……」
 ここまで入り込んだのに、彼らを起こしてしまっては元も子もない。さらに足音を忍ばせて、今度は中央の扉へ向かう。やはり慎重に覗いてみるとそこはやたらと埃くさく、掃除道具や工具やらが雑然と置かれているだけだった。
「またはずれ、か。そう言えば、昔からこういうの駄目だったよなあ」
 とはいえ、部屋は全部で三つしかない。いくらくじ運の悪い自分でも、次は外しようがないはずだ。脈拍が早まっていくのを感じつつ、アーナは慎重に扉を引いた。
「ここは……、事務所かな?」
 部屋には、筆記用具の載った数卓の机があった。壁には大小の棚が並び、様々な書類や本が雑然と押し込められている。やはり人の気配はなかったが壁かけランプは消されておらず、机上には何枚もの羊皮紙が散らかったままだ。見れば、そこに記されているのは魔術言語のようである。
「倉庫の事務所で魔術語、か」
 デネルの公用語だったとされるそれは、術や結晶に関わる者たちには馴染み深いものだった。魔術の修得や研究、開発、それに遺跡や発掘品の調査に必須となるが故にだが、
現在までに解読、用いられているのはそのほんの一部に過ぎない。多様な言語体系のほとんどは、未だ読めないままなのだ。
 研究、解読作業の進展は魔術の進歩と同義だが、言い換えればより強大な力を得る近道だ。それゆえ各地の魔術研究所には、例外なく多大な人的資源と予算が投入されている。
「どうにもそぐわない組み合わせだね。いよいよ近いって感じかな」
 結晶を扱う倉庫であれば、魔術語を目にする事もあるだろう。しかし、これほど多量の書類となると、さすがに自然とは言いがたい。ローリアかラヴェッサか、お目当ての女性魔術師の存在がにわかに現実味を帯びてきた。その手掛かりがつかめるかもと、手にした書類に目を通す。
「残念。ちょっと私には読めないか」
 連なっているのは見た事すらない文字であり、残念ながらアーナの手には負えなかった。しかし最近書き込まれたのだろう真新しい注釈は、汎用的な魔術言語で記されている。これなら無論お手のもの。そしてその中に、彼女は気になる一文を見つけた。
「んー? 術力による生物改造、及び行動操作については未だ推測の域にあり? さらなる発掘と調査を必要とす? これって……」
 魔獣や蟲の増加は帝国各地でいよいよ問題になりつつあり、今回のルスタイン行も建前上はその実態調査という事になっている。もしかすると、読解不能の本文になんらかの情報が隠されているかもしれない。
「他は……、他にはないの?」
 本来の目的を忘れてしまったわけではなかった。しかし、それでも気になった。次々と羊皮紙を手に取って、急ぎ内容を確かめる。そして最後に残った一枚に、アーナの視線は釘づけとなった。
「な、なに、これ?」
 そこに描かれていたのはフォルテア大陸の地図だった。その中央部、『デネルの縄張り』を囲むように、星型が重ね描きされている。
「五芒星……」
 五つ頂点の星型はデネルの象徴。栄華を極めた魔術国家が非常に好み、また尊んだという文様だ。そして――
「たぶんあいつだ! やっぱりここにいたんだ!」
 頂点には一から五までの番号が振られており、地図の下方にそのそれぞれと地名らしき単語の対応表があった。地名のうち三つは×印で潰されているのだが、その中に四年前のあの遺跡、『エガオガ』の名があったのである。
「でも、いったい何がどうなってるの?」
 倉庫の入り口にあったラレーの紋章。蟲や魔獣について書かれているらしい古代魔術語。地図に記された五芒星。地名を潰す×印。処理しきれない情報にアーナは軽く混乱していた。めぼしい書類を折りたたみ、夢中で胸当ての中に押し込める。と、その時だった。
「久しぶりじゃない。元気だった?」
「……!」
 アーナが振り向けた視線の先にはあの女が立っていた。四年間憎みに憎み続けた女が、冷ややかな笑みを浮かべて立っていた。
「ラヴェッサ!」
「今はローリア、よ。でも、こそ泥なんて随分と落ちぶれたもんだわね。もしかして研究所辞めちゃったの?」
「こそ泥って呼ばれる筋合いはないよ! あちこちで強奪事件を起こしてるのは多分あなたたちでしょう?」
 声を荒げつつ、アーナは魔結晶を取り出した。先ほど男を失神させるのに使った、強い術力が封入された石である。つまりは宣戦布告だが、それでもラヴェッサの口元はゆるんだままだ。
「感心しないわねえ。憶測で他人を非難するなんて」
「とぼけてないで答えてよ! ラレーとデネルにいったいどんな関係があるっていうの? 蟲や魔獣が増えているのもあなたたちの仕業なの?」
「こそ泥ごときに教えてあげる理由はないわね。それよりその胸に隠した書類を返しなさい。そうすれば見なかったことにしてあげる」
 なるほど、羊皮紙に記された内容を公にされたくはないらしい。それはアーナにとって非常に好都合な事だった。
「その手には乗らないよ。なんたって一度殺されかけてるんだから。それに、これがあればあなたは私を放っておけなくなるみたいだし」
 つまり、否が応でも対決に引きずり込める。そして思惑通りにラヴェッサは乗ってきた。
「確かに。力づくでも返してもらう事になるでしょうね」
「望むところだよ。今こそあの時の、あの人の仇を取らせてもらう!」
 そう、あの忌まわしい夜以来、自分はこの時のために生きてきた。抑えきれない孤独感、いつまでも消えない喪失感に耐えかね、何度も夫の後を追う欲求にとらわれた。しかし仇をとるまではという想いが、決してそれを許してくれなかった。
「あらあら、何のことかしら。いつの? 誰の仇ですって?」
「忘れたとは言わせない。あなたはあの晩、魔結晶を奪うためにたくさんの仲間を殺した。そしてあの人、ルフレイを殺した!」
「殺したって? あたしがあの人を? あはははっ!」
「わ、笑うなんて! 私たちを嘲るのか!」
 仇敵とのあまりに大きな温度差に、アーナの心のたがが弾け飛んだ。差し上げた魔結晶の周囲を、すさまじい勢いで二本の指が行き来する。それに呼応するかのように、ラヴェッサもまた発動動作を開始した。身体の前で回される掌に、魔結晶から漆黒の煙が吸い出されていく。そして刹那の沈黙の後、両者の術はほぼ同時に発動した。
――ばりばりばりっ!
 轟音とともに青白の雷撃がラヴェッサを襲う。しかしアーナ渾身の一撃は、無念にも敵をとらえる事ができなかった。直前に立ちはだかった漆黒の壁に、たちまち飲み込まれてしまったのである。
 壁は石を受け止めた水面のように揺らめき、やがてゆっくりと消え去った。そしてその向こうで、ラヴェッサは相も変わらず笑っていた。大きく歯を見せて笑っていた。
「なにがおかしいっていうの!」
「あんまり哀れで」
「あわれ、ですって?」
「そう。あんたってほんと救えないよね。底抜けのお人好しなのか根っからのバカなのか。まったく面白いったらありゃしない」
 いったい何を言われているのか、アーナはまったく分からなかった。あの晩の出来事は決して夢でも幻でもない。宿を燃やし尽くさんとする炎の熱さ、蒸せかえるような煙の臭い、血だまりに突っ伏した仲間、そしてあの時も冷笑を浮かべていたラヴェッサ。その全てをまるで昨日の事の様に思い出せる。なのに何故だ? この女はどうしてこんなに愉快そうなのだ?
「どうしたの、黙りこくって。これでお終いって事はないんでしょ?」
「……もちろん」
 ラヴェッサが作り出した闇の壁は、ああして大抵の術を吸収してしまう。破るためには許容量以上の力を放り込むしかないのだが、力量差や手持ちの魔結晶の質を考えると独りでそれを果たすのは困難だろう。
――でも雷球なら。
 それは見張りを失神させた一撃を光球として放つ技で、撃ちだした後もある程度の軌道操作が可能である。なんとか壁の脇を通過させ、側面から命中させられるかもしれない。
「まだまだこれからだよ!」
 彼女は再び指を立て、魔結晶の上へと向かわせる。しかし、そこで新手が現れた。ラヴェッサの向こう、倉庫に通じる扉から数人の剣士が飛び込んできたのである。
「ここだ! 事務室だ!」
「ローリア様! 今の音は何事ですか?」
 彼らは揃いの皮鎧をまとい、同じ片手剣を構えている。先ほどの見張りとは明らかに立場が違う者たちだった。そしてそんな彼らの後ろから、ひと際たくましい体躯の男が進み出る。銀色の短髪に紺の瞳。男はただ一人金属鎧を着込み、携えた剣も大きく立派なものだった。
「あら、あなた。遅かったじゃない」
「どうしたローリア。何があった?」
「どうもこうも。留守の間にネズミが一匹入り込んでたみたいでさ。ほら、あそこ」
 まっすぐ指さされたアーナはなんの反応も返さなかった。いや、返せなかった。なぜなら彼女はその男をよく知っていたから。そして、その男を今でも愛し続けていたから。
「ル、ルフレイ!」
 アーナの叫びに男はその眼を見開いた。が、それはほんの一瞬だけの事。まるで何事もなかったかのように、視線は平静さを取り戻す。
「生きてたのね? ああ、信じられない。良かった、ほんとに良かった」
 男は無言で、涙ぐむアーナを見つめていた。冷静を超えて、虚無すら感じさせる表情だった。
「……ルフレイ? どうしたの? 私の事が分からないの?」
 歩み寄ろうとするアーナをたちまち男たちの壁がさえぎった。
「待て! 動くんじゃない!」
「ガーラヴェル様、ローリア様、お下がりください!」
「どいてよ! お願いだから邪魔しないで!」
 並んだ切っ先をにらみつけ、彼女は一歩たりとも退こうとしない。
「ルフレイ、この人たちを下がらせて。聞きたい事が、話したいことがたくさんあるの」
「……」
 剣士たちの向こうで男はなおも沈黙していた。かたわらに寄り添ったラヴェッサが、にやにやと大げさに肩をすぼめる。
「ね、ねえ。どうして何も言ってくれないの? まさか私を、妻の顔を忘れたわけじゃないんでしょう?」
「俺に妻などいない」
「……え?」
「そしてルフレイなどという名でもない」
「え? ルフ、レイ? あなた、いったいなに言って……」
 人間違いのはずなどない。確かに青年期における四年という歳月が、その顔立ちをより大人のものに変えてはいる。しかし、毎日思い続けた夫の顔を見まがう事などあり得なかった。そして、それは彼にとってもまた同じはずだった。
――記憶喪失?
 とっさにそうも考えた。それは冷静な分析というよりも置かれた状況への理由づけ。すがりに近いものだった。が、そんな微かな望みすら、たちまちのうちに踏みにじられた。
「馬鹿な女だ。素直に現実を受け入れれば、やり直す事もできただろうに」
 剣士たちの壁から突き出すように、男は立てた左手をアーナに向ける。それが何を意味しているのか、彼女は瞬時に理解した。
「そ、そんな!」
 その薬指には指輪がなかった。結婚する時に魔術研究所でこしらえてもらった揃いの指輪が。その内部で踊り、光を散らす術力は死が二人を分かつ時まで、そしてその後も永遠に輝き続ける夫婦関係の象徴だった。
「う、嘘! 嘘でしょルフレイ? きっと冗談……、いつもの悪い冗談だよね?」
「そう思いたければ思っていろ」
 無表情に言い放ち、男はためらう様子なく踵を返した。そしてそのまま、足早に扉の向こうへ去っていく。
「ローリア、後は任せた」
「あ、待って! 待ってよ、ルフレイ。お願いだから話を聞いて!」
 追いすがろうとしたアーナはしかし、またも切っ先の威嚇に阻まれた。それでも必死の形相で隙をうかがう彼女に、ラヴェッサが再びの嘲りを浴びせかける。
「未練がましい女よねえ。みっともないったらありゃしない」
「う、うるさい! これは……、これはきっと……」
「きっと? きっとなあに?」
「……なにかの、間違い、だよ」
「あはははっ! んなわけないでしょ」
 ついに俯いてしまった彼女を勝ち誇った笑いが攻めたてた。
「自分でも分かってるんでしょ? 夫だか仇だか知らないけど、そんなのあんた一人が思い込んでただけなんだって」
「そんな……、そんな!」
「さあ、分かったら盗んだ書類をさっさと私に返しなさい。それとも多勢に無勢で勝負を続ける?」
「くっ……」
 探し求めてきた怨敵の顔をアーナは血走った眼でねめつけた。しかし次にどうすれば良いのか。どうするべきなのか分からなかった。この四年間、自分は何をしていたのか。何のために生きてきたのか。
「あ、あ、ああ……」
 魔結晶を握りしめた拳の震えが止まらない。そして――
「うああああああああ!」
 枯れた絶叫を挙げながらアーナは術力を解放していく。直後、振り払われた腕に導かれ、目もくらむ雷撃がほとばしった。





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posted by omune at 00:00| 東京 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 創作、制作 | 更新情報をチェックする
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