2001年01月17日

『 死にたがりのリル 』4(文字拡大版)



「うふふ。見いつけた」
 路傍の巨木にもたれかかって、ラヴェッサは嬉しそうに笑ってみせた。風に揺れる長髪の向こうで、黒瞳が残虐な感情をほとばしらせる。
「さあ、もう一度私と遊びましょうよ」
「ずいぶん早かったんだね。もっとゆっくりしてても良かったのに」
「お心遣いありがとう。でも、そういうわけにもいかないのよ。早くあの人を追いかけないといけないからさ」
「そっか。それじゃ断るわけにはいかないね」
 しつこい挑発をやり過ごし、アーナは魔結晶を取り出した。先刻、リルから渡された青い石だ。彼のおかげで、そこにはある程度の術力を感じる。一般的な戦闘用の石と同程度か、あるいはもっと上かもしれない。やはり、彼はそれなりの資質を持っているのだ。
「さあリル君、ちゃんと約束守ってね」
 送った視線に緊張した表情で応えてみせて、リルは脱兎のごとく駆けだした。
「だめよ坊や! 死にたくないなら戻りなさい」
 そんなラヴェッサの威嚇にも彼の足は止まらない。草や木の根につまづきながら、それでも全力疾走で木々の壁の向こうを目指す。
「ふうん。それじゃお望みどおりにしてあげる!」
――今だ! 
 ラヴェッサが彼を狙おうとした、その一瞬をアーナはついた。
「いっけえ!」
 素早く放たれた氷槍が、風切り音を上げてラヴェッサを襲う。しかし、ぎりぎりのところで感づかれ、巨木にその身を隠された。
「くそっ! もうちょっとだったのに」
「あら? 得意の雷は使わないの? もしかして使える石がないのかしらね?」
 図星だった。いくらこれが「父の形見のすごい石」であり、リルの術力封入がうまくいっていたとしても、さすがに古代魔術系の技を発動させる力はなかろう。
「さあ、次はこっちから行くわよ」
 その言葉尻にかぶさって、幹の向こうから鉛色の球が現れた。人頭ほどの大きさをもったそれは一見すると金属塊だが、表面がまるで液体のように波打っている。木漏れ日をゆらゆら反射させながら球は滑らかに木々の間を縫い、みるみる距離を詰めてきた。
「そいつは放っとくとずっと追いかけてくるからね。たっぷり鬼ごっこを楽しみなさい。捕まっちゃうと信じられないくらい痛いわよお」
 笑いまじりに忠告し、ラヴェッサはさらにいくつもの新手を追加した。
「そう簡単にやられるもんか!」
 アーナの氷槍が迫りくる追手を見事にとらえる。しかし、まったく歯が立たない。槍はたちまち破壊され、粉々になって地に落ちた。まるで、分厚い盾に雪玉を投げつけたような感覚だった。
「ま、まだまだ!」
 逃げ出し様にもう一撃、急な方向転換で攻撃をやりすごしてさらに一撃。そこまでして、ようやく鉛球は四散した。やはり、一般的な術でラヴェッサの攻撃を防ぐのは無理がある。だが、それは初めから分かっていた事だ。今はとにかく、使える技で戦うしかない。
「あ……」
 必死に逃げ回りながらなんとか全ての追手を撃退したところで、一つ目の石は砕け散った。細かな青い砂になり、さらさらと掌から逃げていく。
「はあはあ。これが最後、か」
 巨木に身を隠しながら、アーナはもう一つの魔結晶を取り出した。
「リル君、ちゃんと逃げてくれたかな」
 こうしている間に距離を稼いでくれていたら、なんとかルスタインまで逃げおおせるかもしれない。そうなれば、ラヴェッサたちも安易に手出しはできないはずだ。そのためにも、少しでも長く彼女をこの場に引き止めなければ。が、その時突然、目前に新たな鉛玉が飛来した。
「し、しまった!」
 とても避けられる間合いではない。一瞬の後、アーナの脇腹を重く激しい痛みが襲う。それは、人頭程度の大きさからはとても信じられない衝撃だった。球が霧となって弾けた瞬間、アーナの身体は浮き上がり、数歩先まで飛ばされた。
「ぐ、おええ!」
 四つん這いになった彼女の口から、黄色い液体が吹きだした。手の甲でそれを拭いつつ、よろめく足で立ち上がる。と、遠方の木陰からラヴェッサが姿を現した。
「あたし、そろそろ飽きてきちゃった。このへんでお終いにしましょうよ」
「これまでか……」
 アーナはいよいよ覚悟を決めた。この状況で真っ向勝負となれば、とてもラヴェッサには敵わない。それでもせめて一矢を報えればと、近づいてくるラヴェッサをにらみつける。
と、その時だった。誰もいないはずの背後から、思わぬ声援が聞こえてきたのは。
「アーナさん、負けるな! 頑張って!」
「君! どうして!」
 声の主はリルだった。とっさに振り向けた視線の先、木々の立ち並ぶ向こうで高く右手を突き上げている。そして彼の登場を待っていたかのように、掌の石に不思議な変化が現れた。
「な、なにこれ……!」
 低い鳴りを伴いながら、石の中で白金の炎が躍る。術力を呼び出していないのにも関わらず、だ。封じ込められたあまりにも膨大な術力が出口を求めて光を放つ。それは『名石』と評される魔結晶に、しばしばみられる特徴だった。
「アーナさん、勝って! 勝ってください!」
 彼の声が届くたび、炎は揺れは大きくなった。ただ持っているだけで掌が熱くなり、空恐ろしいほどの痺れを感じる。今まで数えきれないほどの石を使ってきたが、これほどの感覚は初めてだった。
――もしかして彼の声に同調してる、の? いや、声というより感情に? でも……、そんな話、聞いた事ない!
 だが、それを確かめている時ではない。ラヴェッサは既に術の間合いに入ってきている。
「これがとどめよ! 苦しむ間もなく死になさい!」
 ラヴェッサが選んだのは先刻、光壁を打ち砕いた矢の群れだった。仁王立ちとなったアーナをめがけ、漆黒の塊が突き進む。が、次の瞬間、耳をつんざく轟音とともに激しい稲妻が矢の塊を直撃した。広がる黒煙に無数の火花が飛び散って、焦げた臭気が鼻をつく。
「ラヴェッサ! もうお前の思い通りにはならない!」
 やがて、風に流れる煙の中からアーナの姿が現れた。漆黒の矢はことごとく焼きつくされ、一本たりとも彼女にたどり着く事ができなかったのである。
「な、なんだと!」
 予想だにしなかった強力な迎撃に、ラヴェッサは驚きを隠せなかった。アーナは既に、強力な石を使い切ったと踏んでいた。つい先刻の逃げ回り方が、なによりそれを証明している。だが、たった今彼女が放った雷撃は、こちらの術をはるかに凌駕しているではないか。
「くそっ! それでもあたしは負けない。あんたなんかに負けてたまるかっ!」
 ラヴェッサは向きになって、続けざまの攻撃をアーナに向ける。しかし術力で形作った大鎌も激しく渦巻く毒の霧も、次々と光壁に跳ね返された。
「そんな馬鹿な!」
 術者としての実力も用いている石の質も、自分はアーナのはるか上を行っているはずだ。なのに、どうして術が通らない?
「無駄よ!」
 狼狽も露な彼女に、アーナはきっぱりと言い放った。
「こんな私にだって味方になってくれる人がいる。死ぬなと言ってくれる人がいる。その人が一緒に戦ってくれている。だから私は負けない。彼を絶対に守るんだ!」
――く、来るか!
 彼女の石が強く光りはじめたのを見て、ラヴェッサはあわてて闇の防御壁で四方を固めた。相手の技を吸収し無力化する、絶対の自信を持つ技だ。
「覚悟しろ、ラヴェッサ!」
 アーナが差しあげた右手の周囲で、無数の光粒が渦を巻く。それはたちまちに凝縮し、厚い層となって彼女の拳を覆っていった。
「いっくぞおおおおお!」
 刹那、アーナ渾身の拳打が尾を引いて闇の壁へと打ち付けられた。鈍い衝撃音を追いかけて、周囲の草が激しく揺れる。拳を覆った光粒はまるで川の流れのように闇の中へ吸い込まれていったが、依然としてその輝きが失われる事はなかった。握りしめられたリルの石から、それを補って余りある術力が供給され続けていたからだ。
「うおおおおおおお!」
 やがてアーナが雄たけびをあげると、壁は苦しげに大きくたわんだ。まるで海面の如く波打って、ついには粉々に砕け散る。壁を突き破った拳はその輝きを保ったまま、ラヴェッサの腹へとめり込んだ。
「ぎゃ……!」
 宙を飛んだ彼女は大の字で後方の巨木に打ちつけられ、まるで張り付いたように動かなくなった。そしてそのまま、ずるずると足から滑り落ちていく。
「やった! 勝ったんですね!」
 飛び跳ねるように駆け寄ってきたリルを、アーナは微笑みのうなずきで迎えてやった。
「すごい! やっぱりアーナさんはすごいです!」
「違うよ、リル君。すごいのは私じゃなくて君の方」
「え? ぼく……、ですか? 僕なんかただ応援してただけですよ?」
 きょとんとするリルの眼前に、彼女は拳骨を差し出した。軽く上下に揺らせてみせてリルにも同じ姿勢を取らせ、それから互いの拳をこつんとぶつけ合わせてみせる。
「君は『生まれ損ない』なんかじゃないって事。精石師としても、それになにより人としてもね」
「は、はあ?」
「まあ、今度くわしく説明するよ。まだ後始末をしなくちゃならないからさ」
 困惑顔のリルに背中を向けて、彼女はラヴェッサに歩み寄る。仰向けに転がった彼女は、しかし死んではいなかった。痙攣する四肢を踏ん張らせ、必死に起き上がろうとしているようだ。口から血を垂らし、苦悶に歪むその顔をアーナはまっすぐ見下ろした。
「どう? 少しは思い知った?」
「……殺せ。そのためにここまで旅してきたんだろう?」
「そうだね。さっきまではそうしたいって思ってた。だけど、やっぱりやめとくよ」
「なん、だと?」
「あなたを殺したって時間が戻るわけじゃない。それにほら、どうも援軍がご到着のようだから。……リル君! 急いで私の後ろにくっついて」
 見れば、森の出口の方から数人の剣士たちが走ってくる。
「ローリア様! 大丈夫ですか?」
「貴様ら! よくもローリア様を!」
 勇み立つ彼らを前に、アーナは魔結晶をこれ見よがしに構えてみせた。
「もしもやるなら本気で行くよ? それともお互いにやめておく?」
「う、ぐ……」
 鋭い視線に射抜かれて、男たちに動揺が広がった。じわじわと間を広げながらも、しかし背中を見せるものは一人もいない。仕事に対する責任感からなのか、それとも仲間意識からなのか、いずれにしても絶対に彼女を守り抜くつもりらしかった。が、ほどなくラヴェッサの苦しげな声がそんな彼らを制止した。
「剣を……、おさめろ。この女の言う通りに、するんだ」
「は、ははっ」
「それとアーナ。あんたに一つ、忠告しとく、わ」
 彼女の息は荒く、痛みのせいなのか皺の寄った眉間が激しく震えている。
「あら? なあに?」
「書類についてはこれ以上……、詮索するな。じたばたしたって、どうせあんたたちには何もできない」
「それは無理。言いそびれてたけど、私、研究所を辞めたわけじゃないんだからね」
「馬鹿、ね。後悔する、わよ」
「どうだろうね? まあ、やってみなくちゃ分からないよ。それと、できたらあの人に伝言頼める? 『ばああああああか!』って、その一言だけで良いからさ」
 彼女はくるりと踵を返し、見守っていたリルに笑みを送った。柔らかで穏やかな、それでいてどこか悲しげな笑みだった。二人はそのまま森を抜け、そして怪我の手当てをするために一度ルスタインへ戻る事にした。

     ■

「あの人もなあ。いったい何を考えてるんだか」
 青空を行く綿雲を見上げ、リルは大きく嘆息した。それは待ち人、アーナに向けてのものである。
 ここはアネア。彼の実家があるこの町は小高い丘の中腹にある。町並みを囲む柵の外には田園が広がり、植物の香りが漂うのどかなところだ。そのはずれにある草原に腰を下ろして、彼はまだ来ぬアーナを待っていた。
 草原はなだらかな下り斜面になっていて、隣町へと続く道を遠方まで見通せる。予定通りなら、アーナはとっくにその道を上ってきているはずだった。
「ここまで来たら送っていくよ。君のお母様にも会ってみたいし」
 再びルスタインを発つ前夜、彼女のそんな申し出をリルは喜んで受け入れた。このまま別れるのが寂しいというのもあったし、恩人のアーナをもてなしたい気持ちもあった。だがルスタインを出て隣の宿場町に入るまでの間、当のアーナは何事か、ずっと考え込んでいた。
 なにかまずい事をして機嫌を損ねてしまったのかも。そう不安に思ったりもしたのだが、話しかければ笑顔でいつも通りに応えてくれる。そして実家まであと半日となった宿屋の部屋で、彼女は不思議なことを言い出した。
「ここまでくれば一人でも大丈夫だよね?」
「ええ、それはまあ。でも、アーナさんはどうするんです? まさか、ここまで来て帰っちゃうとか言わないですよね?」
「え? 違う違う。私は一日遅れで明後日行くよ。お母様をあわてさせちゃいけないし、それにちょっとした準備もあるから」
「じゅんび? 準備ってなんです?」
 当然すぎる問いの答えを、アーナは教えてくれなかった。ただ、明後日になれば分かると言った。そして今、リルはこうして彼女を待っている。
「お帰りなさい、リル。ずいぶん男らしくなったじゃないの」
 昨日、自分を迎えた母、ミシェルは本当に嬉しそうだった。きっと工房で休みを取って、それができる立場になっての里帰りと早合点したに違いない。だから、真実を告げるのが辛かった。しかし、それでも言わなければいけないと思った。
「そうだったの。まあ、自分で決めたことなら仕方ないわね。取り合えず何日かゆっくりして、それから先の事を考えなさい」
 母はそれでも微笑んでくれていた。色々と思うところはあっただろうが、それでも息子がかわいくて仕方がないという風だった。以前より少し痩せた母のそんな振る舞いを見ていると、なんだかたまらなくなってくる。
「ふうん。そりゃまた、えらく大変な旅だったのねえ。でも……、とにかくお前が無事で良かったわ」
 三年ぶりに共にした食卓で、母はすっかり感嘆したようだった。息子がさらわれる場面では自分もその場にいたかのように憤り、アーナとラヴェッサが戦う場面では興味津々で話に聞き入る。生活魔術師の彼女には、高度な術のぶつかりあいがまるで夢物語のごとく感じられるに違いない。
「だけど、その魔術師様はずいぶんすごい人なのねえ。できれば会ってみたかったわあ」
「あ、そうだ。忘れてた!」
「え?」
「その人、アーナさんが明日家に来るんだよ。母さんにぜひ挨拶したいんだって」
 そう聞いた途端、それまで穏やかだった母が一変した。
「なんですって! リルったら、なんで早く言わないの!」
 椅子が倒れんばかりに立ち上がった彼女は、あたふたと食材置き場を調べにかかる。
「なんて事なの。こういう時に限ってなんにもないわ。それでその人、アーナさんは明日のいつ頃いらっしゃるの?」
「え、ええっと。たしか……、昼過ぎって言ってたけど」
 それを聞いて母は大きくうなずいた。
「リル、明日の一番で市場に行ってきてちょうだい。買ってくるのは肉と玉ねぎと人参と、そうそうパンも足しとかないと。あ、それとも魚料理の方がいいかしら」
 怒涛のごとく告げられる食材に、リルは頭がくらくらしてきた。そもそも裕福ではないのだし、贅沢をしなくてもアーナはきっと不満になど思わない。いつも通りで良いではないか。そう歯止めをかけてはみたが、もはやそれは手遅れだった。
「母さんが料理を作ってる間に、お前は掃除をしてくれる? 忙しいけどよろしくね」
 つい先刻、「何日かゆっくりして」と言ってくれた人物とは思えない。結局、起きてから今まで、リルはてんてこ舞いで半日をすごしたのだった。
「アーナさん、そろそろ料理が出来ちゃいますよ?」
 そう呟きながらリルは再び空を仰いだ。そして大きなあくびを一つ。と、そこでようやく、風に乗って待ちわびた声が運ばれてきた。
「リルくーん!」
 急ぎ視線を振り戻すと、坂の下でアーナが手を振っている。見れば、彼女は一昨日までとは全く違う服装をしていた。遠目で細かいところまでは分からないが、胸当てを付けていないし、ごついブーツも履いていない。風でからみつく長いスカートに手こずりながら、彼女はえっちらおっちらとゆっくり坂を上ってきた。
「ごめんごめん。準備に案外手間取っちゃってさ」
「いえ、それは別にいいんですけど。どうしたんですか、その恰好?」
「えへへ。実はルスタインの古着屋で買っといたんだ。ねえねえ、どうかな? 似合うかな?」
 アーナは鮮やかな青のワンピースをまとっていた。ベルトで絞られた腰回りが、驚くほどに細く見える。靴もごく普通の短靴で、一昨日までの勇ましさはどこにもなかった。櫛の通った髪が綺麗に後ろでまとめられ、薄黄色のリボンが結ばれている。
「ええ、似合ってますよ。とっても」
「ほんとにほんと? それはお世辞でも嬉しいなあ」
 決して気を使っての出まかせではない。思いもしなかった清楚な佇まいに、リルの視線は釘づけにされていた。こんな格好をしていると彼女があちこちの遺跡を渡り歩き、ああして強力な魔術を武器に戦う人物などとは誰も思わない事だろう。
「胸当てやブーツはどうしたんですか? とても背嚢には入りませんよね?」
「ああそれはねえ、昨日の宿に預けてきたの」
「宿に? ちゃんと返ってくるんでしょうね?」
「うーん、大丈夫じゃないかなあ。あの宿のご主人、とっても人が好さそうだったし。それに……」
「それに?」
「今日はアルベリー魔術研究所の一員として来たつもりだから。帰ればちゃんと正装があるんだけどね。まあ、気は心ってところだよ」
「研究所の一員? それって……、どういう事ですか?」
 どうもおかしな話になってきた。ただ「お母様にご挨拶したい」だけではなかったのか? 思えば彼女と出会ってからというもの、ずっとこんななぞ解きをしている気がする。
「リル君、ちょっとそこに座ってくれる?」
 先刻まで腰かけていた切り株を掌が柔らかに指し示した。釈然とせぬまま従うと、目前にそっとアーナがしゃがみ込む。鋭く、しかしそれでいて温かさを感じさせる青緑の瞳が、少し下からリルを見上げた。
「実はリル君とお母様に大切な話があるの。でも、まずはあなたの気持ちを聞いておきたい。私の話をよく聞いて、自分で決めてほしいんだ」
「僕の気持ち? 自分で決める……? 全然意味が分かりませんよ」
「うん、それはこれから説明するよ。けど、いい? 何度も言うけど君の本心を教えてほしいの。そうでなくっちゃ意味ないし、無理強いだけはしたくない。それを忘れないでいてくれる?」
「は、はい」
 リルのうなずきを確認すると、彼女は口元をゆるませた。そして一節一節をしっかりと区切りながら、ゆっくり言葉を投げかけていく。やがてすべてを聞き終わったリルは固く目を閉じ、腕を組んで考え込んだ。だが、結論が出るまでにさほどの時間はかからなかった。

     ■

「おいしいいいいい。このシチュー、信じられないほど美味しいです!」
「まあ、嬉しい。そう言ってもらえると頑張った甲斐がありますわ」
 母の得意料理、肉と野菜のシチューをアーナはいたく気に入ったらしかった。そのあまりの喜びように、待ちぼうけを食わされた母の機嫌もすっかり直ったようである。だが、そのかたわらで、リルはひとり緊張の中にいた。先刻、アーナに返した結論を今度は母に告げるのだ。しかし、女性二人の途切れぬ会話になかなかきっかけが見いだせない。
「あのさ、母さん。実は聞いてほしい事があるんだよ」
 リルがそう切り出せたのは器の後片付けもすっかり終わり、食卓にお茶が並べられてからだった。
「ん? いきなり改まってどうしたの?」
「うん。あのさ、その……、俺……」
「どうしたの? 言いたいことがあるならはっきり言って」
 話しにくい内容なのを悟ったのか、ミシェルの口元が引き締まる。空色の瞳に見据えられ、リルはいよいよ覚悟を決めた。
「俺、アルベリーに行こうと思ってる。アーナさんが、魔術研究所の精石師様を紹介してくれるっていうんだよ」
「……」
 ミシェルは無言だ。紅潮したリルと隣で成り行きを見守るアーナの間を、視線が静かに行き来する。
「き、昨日の今日で自分でも調子が良いと思ってる。けど……、けど俺、もう一度だけ自分を試してみたいんだ」
「なるほど、ね。けど、街の工房ですら無理だったお前が魔術研究所なんて。ちゃんとやっていけるのかい?」
「え、そ、それは……」
 厳しい切り返しを受けてリルは思わず言葉に詰まる。と、アーナが凛とした声色で助け舟を出してくれた。
「やってみる価値はあると思います」
 彼女はぴっと背筋を伸ばし、ミシェルの瞳をまっすぐ見つめる。
「私は彼が貸してくれた魔結晶……、ご主人の形見に命を救われたんです。ただ、その一つは戦いの中で崩れてしまいました。お詫びが遅れ、本当に申し訳ありません」
「いえ、それはまったく構いません。あなたとリルを救えたのなら、主人もきっと本望でしょう」
 深々と頭を下げる彼女の姿にミシェルが口元をゆるませる。が、ほどなくリルと目が合うと、それはたちまち掻き消えた。
「逆に恐縮してしまいます。どうか頭を上げて続きを聞かせていただけませんか?」
「ありがとうございます。あの時の術力は息子さんのものだけとは思えません。おそらくご主人によるものか、あるいはもっと以前から魔結晶の奥深くに圧縮されていたものが、息子さんの術力と共に解放されたのではないか。私はそう推測しています」
「なるほど。それはあり得るかもしれませんね」
「たまたまなのか、それとも特殊な才能なのかはわかりません。しかし、どちらにしても申し上げた事象が発現したのは確かです。それに……」
「まだ、あるのですか?」
「はい。あの時、彼の声に応える様に術力が急上昇したのです。そのような現象は今まで耳にした事すらありません。しかし、実際に彼はそれをやってみせたのです」
「そうですか。リルが、そこまでの事を……」
 ミシェルはしばし口をつぐむと、何かしら考え込んでいるようだった。
「現在、我が研究所の筆頭精石師、ブライリーが欠員の出た助手を探しております。彼であればきっと息子さんの才能を理解し、さらに伸ばしてくれるでしょう。無論、修練はそれなりに厳しいものになるでしょうが、生活面においては私、アーナ=エス=ティエルが精一杯の支援をさせていただきます。どうかその点はご安心ください」
「お話はよく分かりました」
 うなずきを返したミシェルの視線が、続いてリルに向けられる。決意を試すように動かないその瞳を、リルは懸命に見つめ返した。
「頼むよ母さん。俺、やっぱり一人前の精石師になりたいんだ。そして父さんのためにも、自分の血筋を証明してみせたいんだ」
「……」
 それは長い沈黙だった。顔を見合わせたアーナとリルが、のぞき込むように二人そろってその身を乗り出す。 
「分かったわ。お前のしたいようにすればいい。ただ、今度もだめだったら次はないと思いなさい」
「ありがとう、母さん!」
「ありがとうございます!」
 歓喜の声を重ね、笑顔で拳をぶつけ合う二人を、頬杖をついたミシェルが見つめる。
「そうと決まればちゃんとお祝いをしないとね。リル、もう一度市場に買いだし頼めるかしら」
「え? ま、また?」
「こら、せっかく許してもらったのにそんな顔しないの。私も手伝うから一緒に行こうよ」
 先に立ち上がってみせたアーナを、しかし彼女は制止した。
「いえ、アーナさん。あなたはここに残ってください。少し二人でお話ししましょう」
「え? はい。分かり、ました」
 困惑するアーナをよそに、彼女は息子に向かって次から次へと買ってくる品物を告げていく。一人では持ちきれないほどの発注数だ。男性としては細いリルの腕が壊れてしまうのではないかと、アーナは半ば本気で不安になった。
「それじゃ行ってきまあす」
 何度も注文を反芻させられたリルは、かなりだるそうに出かけていった。主役が、自らを祝う料理の材料を買い出しに行くわけだ。アーナはそんな彼を少し気の毒に思いながらも、同時に遠慮のない親子関係を羨ましくも感じていた。
「ところで私にお話とはなんでしょうか? アルベリーについてなにか分からない事でもあれば」
「いえいえ、違うんです。ただ、少し心配だったから」
「あ、そ、そうですよね」
 アーナはあわてて立ち上がり、対座したミシェルのかたわらへ歩み寄った。一人残される母の想いを、もっと推し量るべきだった。そんな後悔が頭をよぎる。
「たった一人の息子さんを送り出すんですもの。不安に思われるのは当然だと思います。でも――」
「いいえ、そうじゃないんです」
「え、え?」
 不意に目の前へと立ち上がられて、アーナは二、三歩後ずさる。向けられた空色の瞳には両親からはあまり受けたことがない、そしてルフレイのそれとも違う柔らかな温かさが満ちていた。
「あなたの事が少しだけね。そう、少しだけなんだけど」
「私の事が、ですか?」
 まさか大切な息子に手を出すとでも思っているのだろうか。いやいやいや、五つも年が違うのだから、あり得ないくらい分かるだろう。では、研究所への紹介を作り話と疑われているのだろうか。それは困る。なにしろ身分を証明するものは何一つ携えてきていない。
「あ、やっぱり私、うさん臭いですか? うーん、困ったなあ。どうすれば信じてもらえるかなあ」
 一人あたふたとしていると、ミシェルの口から「くくっ」と小さな笑いがもれた。またも距離を縮められ、ますます動揺に拍車がかかる。
「そういうところが」
「は?」
 い、いけない。場を和ますつもりが裏目に出てしまったか。後悔と恥ずかしさに襲われて耳が熱くなってくる。だが、続いてミシェルが口にしたのは、まったく思いもしなかった言葉だった。
「あの子から聞きましたけど、ここ数日は本当に大変だったようですね。なのにそんなに気を張って、あの子のために一生懸命になって。私には、あなたがとても苦しそうに見えるんです」
「え、わ、わたし、そんな……」
 無理をしているつもりなどない。ただ、その時その時を精一杯に過ごし続けているだけだ。
 リルを研究所に誘ったのも、決して恩返しをしたいという理由からだけではない。なによりその精石師としての可能性に驚嘆し、その才能を伸ばす手助けをしてあげたいと思ったからだ。
「きっと辛かったでしょう。痛みに耐えるのも大人として大切な事だけれど、だからと言って我慢しすぎてはいけないわ。もしもあなたが倒れたら、慣れない土地でリルも困る事になる」
 どういうわけか、ミシェルの顔が急に滲んでぼやけていった。
「あ、あれ……? なんで?」
 そう、本当は辛かった。それもひどく辛かったのだ。でも、リルに、ミシェルに、それに見知らぬ人たちに、余計な気を使わせたくなかった。育った環境のせいなのか、昔から助けてもらうのが苦手だった。そんなものなど必要ない、強い自分でいたかった。
「私が……、少しでもしっかりしないと」
 今は感情に振り回されている時ではない。リルを大切にアルベリーへ連れていかなくてはいけないし、研究所の一員としてラレーとデネルの一件をしっかりと報告する義務もある。だからへこたれるな、頑張るんだと己を奮い立たせていた。
「アーナさん? ここには私とあなただけ。全部さらけ出しても誰にも知られる事はありません。なんでしたら、私も外出しましょうか?」
「待って、ください」
 離れていこうとするミシェルの服を、アーナはおずおずと引っ張った。
「少し……、少しだけ付き合ってもらってもいいですか?」
「ええ、もちろん」
 その言葉を待っていたかのように、彼女はミシェルにもたれかかった。胸元に顔を沈めると、ミシェルは優しく抱きしめてくれた。
「う、う、うう……。ぐすっ、ぐすっ」
 やがて漏れはじめた嗚咽はだんだんと大きくなって、次第に高く苦しげな泣き声に変わっていった。
「う、あ、あああああん。わ、わたし、わたし! ああああ、うああああああん!」
 何度もうなずきながら、ミシェルが背中をさすってくれる。その感触と温かさ、衣服を通して伝わって来る息遣いに、アーナはもう感情を抑えることができなかった。
 生きていたルフレイ、ラヴェッサと彼との関係、自分が殺したにも等しいゲリック、戦いのさなかにリルがくれた勇気、そしてミシェルの優しさ。色々な出来事や想いがごったになってアーナの胸を埋め尽くし、涙となってあふれ出る。
「うわあああああん。ひ、ひっく、ひっく。う、う、うあああああああああ」
 ミシェルの腕の中で時おりしゃくりあげながら、アーナはいつまでも泣きつづけた。「リル君が戻る前に顔を洗っておかなくちゃ」。それだけをぼんやりと考えながら。

     ■

 やがて日が傾き始める頃、買い物を終えたリルが戻ってみると、どういうわけか母とアーナはすっかり仲良しになっていた。二人とも古くからの友人のような話し方をしているし、いつの間にか三日の実家滞在が決定事項となっていた。
 一つ気になったのはアーナのまぶたがまた腫れていたことと、ミシェルが服を着替えていたこと。何があったのかと気にはなったが、楽しそうにおしゃべりする二人を見る限り、それは確かめなくても良さそうだった。

 肩を並べての散歩やアーナと二人で家の手伝い、はしゃぐ彼女を案内しての町観光。楽しく穏やかな三日間はあっという間に過ぎ去って、いよいよ旅立ちの朝がやって来た。町の出口まで送ってくれたミシェルが、アーナと名残惜しそうに抱擁を交わす。
「そのうち、またお話しに来てもいいですか?」
「もちろんよ。この子抜きでも大歓迎。かえってその方が楽しいかもね」
 なんという言い草なのかと、リルはかたわらで肩をすぼめた。
「それじゃ母さん、行ってきます。余裕ができたら顔を見せに来るからね」
「そうだね。それが許される立場になったら大手を振って帰っておいで。その日を楽しみに待ってるからね」
 いよいよ別れの時となり、さしもの母も目を潤ませてしまっている。泣き笑いのその表情がうつってしまいそうで、リルはあわててそっぽを向いた。
 坂を下っていく二人をミシェルはいつまでも見送ってくれていた。すっかり小さくなったその姿に大きく手を振りながら、アーナが笑いかけてくる。
「お互いに頑張ろうね、リル君」
「はい。でも、アーナさん?」
「ん?」
「ブライリー様ってどんな人なんですか? この間の口ぶりだとなんだか厳しそうな感じですけど」
「そうだねえ。気難しくて頑固なおじさんってところかな。まあ、色々大変だと思うけど私も応援するからさ」
 その手強そうな説明に、リルの胸を今さらながらの不安がよぎる。
「うーん、なんだかちょっと心配だなあ」
「平気、平気! 君ならきっと大丈夫」
「本当にそうですかねえ」
 彼はまだ知らなかった。アーナが決して当てずっぽうで言っているのではない事を。
 あの日、気がすむまで泣いた彼女に、ミシェルはいくつかの話をしてくれた。自分は元々、レッセルの魔術研究所に属していたこと。そこで夫、つまりリルの父親と知り合ったこと。ファーシニス家には本来、『ディア』という称号があるのだということ。夫と自分の間にも術力同調が発現していたこと。そして彼の死の真実。彼女の語ってくれた内容が、アーナの推測を確信へと変えていた。
「心配いらないって。この間も言ったでしょう? 君は絶対に『生まれ損ない』なんかじゃないんだから」
「そうなのかなあ……」
 首を傾げはしたものの、彼女に言われると本当に大丈夫そうな気がしてしまう。それに、これは自分で決めた道なのだ。後戻りせず、自分の力で進まなくてはいけない道だ。
「さあ、アルベリーまで頑張るぞー! ほら、リル君も一緒に」
「……おー」
 強引に促され、リルはしぶしぶ拳を突き上げた。見守るミシェルに背を向けて、二人はいよいよアルベリーへ向かって歩き始める。やがて帝国中にその名を轟かせる事になる魔術師と精石師。アーナとリルはこうして出会い、運命を共にする事になったのだった。


< 了 >



着 稿:2015-08-10
第1版:2015-10-28



その3に戻る  作品ページに戻る



posted by omune at 00:00| 東京 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 創作、制作 | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
コチラをクリックしてください

この記事へのトラックバック